今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (254)夢の彼方/矢沢永吉(1991)

2024年ももう1/4が終わろうとしている「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:松本一起/作曲:矢沢永吉

発売:1991(平成3)年4月19日 (当時41歳)

売上:13.3万枚(オリコン最高3位)

1991(平成3)年4月に発売された矢沢永吉さん26枚目のシングル曲です。

永ちゃんこと矢沢永吉さんの楽曲については、少し多いですがこれまで以下にupしてきました。

 

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ここからが本題です(笑)

●Z!

この年に発売された、アサヒ生ビール「Z」のCMソングに起用されました。

当時この曲をカラオケで歌ってたら、周りから「ゼーット!」とめっちゃ言われたのを思い出します。

CMが皆の心に残っていた時代で、またタイアップがあるといわゆる「大きい」時代でもありました。

個人的に、永ちゃんにハマり始めて初めて出たシングルだったこともあり、そのリリースにはワクワクしたものでした。

 

●ゴルフボールにのせて

そのCMはプロゴルファーのグレッグ・ノーマン氏が出演し、そのスイングでゴルフボールがCGによる軌道に乗って飛んでいく演出がなされていました。永ちゃんは歌だけでした。

このCMソングでは

♪夢を 信じろ

と歌われていますが、

原曲では

♪俺を 信じろ

であり、CM用にフレーズを少し変更して録られたものと思われます。

壮大なバラードにして、サビはちょっとラフに歌う、YAZAWA節のきいた楽曲です。

俺は俺であり続けて、どんな時も「太陽を見つけてやる」そんな思いで生きるんだぜ、というよような男の決意表明が感じられ、強くて優しくて、静かに燃えるバラードという感じの楽曲です。

 

●アルバム

先行シングルとして発売され、同時期には日テレ系刑事ドラマ刑事貴族2」の主題歌として「ラスト・シーン」が流れていましたが、この曲も翌5月末にはリリースされ、珍しく2ヶ月連続のシングルリリースとなりました。

そして7月にはアルバム「Don't Wanna Stop」が発売され、その7曲目に収録されています。

このアルバムは個人的に永ちゃんのアルバムで初めて、発売日に買ったもので大変思い入れがあります。

このアルバムについては、記事最下部のrakutenのリンクにあります。

 

 

 

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今日の1曲 (253)NEVER/MIE(1984)

3月下旬が寒すぎて仕方ない「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:Dean Pitchford,Michael Gore (日本語詞:松井五郎)

発売:1984(昭和59)年6月1日 (当時26歳)

売上:27.4万枚(オリコン最高4位)

1984(昭和59)年6月に発売された、MIE(現:未唯mie)さん6枚目のシングル曲です。

 

●「ミー」のソロ曲

当時の表記で、以後「MIEさん」と記しますが、MIEさんはピンクレディーとして日本中を席捲した後1981(昭和56)年春に後楽園球場で解散コンサートを行い、その後はソロとして活動していました。

ソロでは歌手だけでなく女優、タレントなどマルチに活動していましたが、歌手としては解散後早々にブラームスはロックがお好き」(1981.7.5発売。最高51位。3.5万枚)でソロデビューし、その後も何枚かのシングルリリースをしますが、チャート的には不発で尻すぼみとなり、女優としての方が充実していた感がありました。

そんな中でリリースされたこの6枚目シングルで、唯一のオリコンTOP10入りを果たし、また唯一売上10万枚を越えも果たしました。

その後の曲は再び売れなくなりましたが、ソロのMIEとしての代表曲を手にする事となりました。

 

●カバー曲

当時とても多かった洋楽の日本語カバー曲で、オーストラリアのムーヴィング・ピクチャーズというバンドのNeverという曲をカバーしたものだそうで、1980年からブランクを経て現在も活動しているようです。

なので作家陣も作詞作曲は海外の方々で、日本語詞として松井五郎さんがあてています。

 

不良少女とよばれて

この曲がブレイクしたのは、なんといっても当時大流行の"大映ドラマ"不良少女とよばれて」の主題歌に抜擢されたことが大きいと思います。

高視聴率が確実視されたような時間枠(スチュワーデス物語の後番組)で、いとうまい子さんがそれまでの線純路線からガラリと変わって迫力のある乱闘シーンなどが流れる中、MIEさんが歌い上げ、ラストはシャウトする…という形が、当時のお茶の間にはすんなり入っていったのではないかと思います。少なくともうちの家庭ではそうでした(笑) 伊藤かずえさんや松村雄基さんなどもこの番組からブレイクしました。

大映ドラマは、この前後の麻倉未稀さんの主題歌フラッシュダンス …ホワット・ア・フィリーング」「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」や、葛城ユキさんの「ハートブレイカー」など、洋楽カバーのロックな主題歌を多く採用し、ドラマと共に存在感を増していた事を感じます。

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●歌唱

ピンクレディーの頃からは考えられない、がなり声やシャウトなど、全面的にロック・ヴォーカルという感じで、詞もメッセージ性が強く、

♪今すぐに そうよ始めるの

の部分は、後の「今でしょ」に通じるものがあります(笑)

そしてなんといっても印象深いサビの

♪NEVER NEVER NEVER EVER (×2)

の部分、当時中二だったので英語で「NEVER」とか「EVER」とか習いだした頃だったので、すごく印象的でした。

また「ネボネボネボ」とか「ネバネバネバ」とか人によって、こんな風に聴こえる、というのもクラスで話題になりました。

これに続いて

♪ If 愛さなければ

の部分、「あ・い・さ・な・け・れ・ば」と1音ずつ歌うのも印象的でしたが、ここも学校の英語の授業で、「If…,Then…」の構文を習っていた頃だったので、ここも印象深いものがありました。単に楽曲だけでなく、これに絡む当時の状況(英語で習っていた内容とか)も相まって、思い出深いものとなったり、音楽の面白さを改めて感じます。

♪Oh、NO~! You Never フラーーーイ Ah------

のシャウトが締めくくりにあまりに相応しすぎ、かつ印象深すぎで、MIEという歌手に初めて世間的にロックの要素が見出されたように思います。ソロデビュー曲には「ロック」のタイトルがついていましたが…。

また、二番の歌唱は、一番とは少し違って上ずり気味に歌われていて、カラオケで一番と二番と同じ調子で歌わないよう、要注意です(笑)

 

サウンド

独特の出だし、タラララ ララララ…というきらびやかなサウンド(原曲を見るとキーボードで演奏されていました)が流れてきたら、すぐにそれと特定できるこの音がやはり印象的です。

この音を聴くと曽我笙子がチェーンを振り回している様が思い出されます(笑)

その後、歌い出しまでのサックスの長い音も存在感大きく響きわたっていますが、この音はアウトロでも存在感を発揮しています。

 

 

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今日の1曲 (252)マーマレードの朝/中村雅俊(1980)

3月も下旬に差し掛かるというのに、朝は真冬並みの「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:桑田佳祐

発売:1980(昭和55)年9月1日 (当時29歳)

売上:不明(オリコンチャートインなし)

1980(昭和55)年9月に発売された中村雅俊さん13枚目のシングル曲です。

 

中村雅俊さんの楽曲では、過去に以下について記事UPしています。

 

▼表通りは欅通り(1981)

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▼燃える囁き(1983)

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●20代ラストシングル

1980年9月のリリースで、当時雅俊さんは29歳。

次の「表通りは欅通り」は30歳になったばかりの1981(昭和56)年2月10日にリリースされており、20代では最後のシングル曲となりました。

と共に、これほどの長い髪でのジャケットもこれが最後で、次作からは短めの髪になっていきます。長い髪でも特にこの時期はアフロにしてて、ヒゲを生やしていた時もあり、かなり風貌的にワイルドな時期でした。

 

オリコン売上

オリコン100位以内にランクインがなく、売上枚数は不明です。

この時期の雅俊さんのシングルは、俳優活動が順調なのと反比例するかのように楽曲は売れておらず、デビューした1974(昭和49)年から1996(平成8)年までの23年間で、オリコン100位以内に入る楽曲が全くなかったのは、本作の出た1980年のみでした。

この年は前作「野生のリサ」(1980.5.1発売)で、シングルでは初めて自身で作曲も担当しましたが、オリコン100位以内に入らず不発に終わり、続く本作も同じ結果となり、更にはドラマ主題歌に起用された「表通りは欅通り」も同じ結果で、シングルセールス的には限界が囁かれていても不思議でない状態でした。しかし、その次の「心の色」オリコン1位に返り咲き、30代になっても安定して歌手活動を継続していました。

 

●作家陣

作詞作曲は、ナント桑田佳祐さんです。

この時期の桑田さんはまだ独身で、サザンオールスターズとしての楽曲も売れたり売れなかったりで、絶対的な立ち位置という感じではありませんでした。なにせまだ24歳だったので。

しかし桑田さんの作品をもってしてもオリコン100位以内に入る事ができず、思うにちょっと難しすぎたのかな?と感じます。

のっけから延々と英語詞で歌われていて、洋楽?みたいな感じで、とっつきにくかったのではないかと思いました。1番はほとんどが英語で最後の1フレーズだけが日本語で、

♪波を打つ あなたの胸

っていかにも桑田さんらしい描写を感じます。

この曲の英語部分はサザンオールスターズわすれじのレイド・バック(1980.7.21発売。最高41位。3.4万枚)のB面「FIVE ROCK SHOW」がそのまんま使われている格好で、これに日本語詞をつけてひとつの曲にしたのが本作でした。

本作が不発だったので、後にこのコンビで恋人も濡れる街角(1982.9.1発売。最高5位。47.7万枚)をリリースしてリベンジしたような事をどこかで聞きました。

 

音にもこだわりが感じられ、オーケストラ風の壮大感もありつつ、サビの部分でのタンバリンの連打のようなインパクトのある音もい随所に散りばめられ、バラードの中に色んな音が詰め込まれている事が感じられます。

 

●「刑事珍道中」主題歌

本作は自身が主演した映画「刑事(デカ)珍道中」の主題歌に起用されました。

勝野洋さんとのW主演的なコンビ刑事ものでしたが、「ニッポンの恥」といわれた二人組の巻き起こすドタバタ劇で、映画よりもTVの連続ドラマで見たかったなと思いました。

後に放映される「あぶない刑事」の少し若くてかっこ悪い版みたいな作品でしたが、スタッフもそのあたりの布陣で、プロトタイプ的作品だったと思います。それまでは「俺たちの勲章」というコンビ刑事もので雅俊さんは純情な青年刑事を演じていましたが、それを80年代に合わせてはじけた作風にしたのかな?と。

 

●独特歌唱の確立期

ハ行を強調する雅俊さん独特の歌唱がこの時期に確立したのかな?と感じました。

それまでは割に素直な歌い方だなと感じますが、本作では日本語詞の最後の方で

♪泣いてあげられるのさ

というフレーズがあり、これを

♪なーてーげられるーのーさー

と歌い、ハ行もですが「あ」を「わ」にするなどもあり、極力「角」を取るような、エッジを外すような歌唱をしていたように思います。これが雅俊節なのかなと。

 

 

今日の1曲 (251)モニカ/吉川晃司(1984)

3月もいよいよ後半になり、ようやく冬の寒さから抜けつつある「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:三浦徳子/作曲:NOBODY

発売:1984(昭和59)年2月1日 (当時18歳)

売上:33.9万枚(オリコン最高4)

1984(昭和59)年2月に発売された吉川晃司さんのデビューシングルです。

 

●新しいヒーロー像

それまでのシーンになかったタイプとしてセンセーショナルにシーンへ登場した吉川晃司さん。

アイドルっぽい要素を持ったソロのロック歌手というのは、当時なかなか居らず、フォーク系には少し居ましたが大きなヒットには結びつかず、所属事務所がそのプロモーションに巨額の費用をかけて売り出し、鮮やかに登場しました。

当時18歳で、アイドルっぽい雰囲気をもちながらも、ニコニコと微笑むアイドルとは一線を画した存在であり、それでいてバンドではなくソロでロックを歌い、シルエットは逆三角形のスポーツマンスタイルという、本当に革命的な立ち位置のニューヒーローの登場でした。

この曲でのデビューと同時に映画「すかんぴんウォーク」(本作はその主題歌)での主演デビューも果たし、まさに鳴り物入りでシーンに殴り込みをかけるように現れましたが、そんな彼の登場がもう40年も前とは…いま改めて驚きです。

 

●莫大なプロモーション

デビュー映画の予算は1億円!、歌手活動に絡む費用は5,000万ともいわれ、

これまでなかったキャラクターには莫大な費用をかけられ、社運を賭けた一大プロジェクトといっても過言ではないレベルでした。

その事務所とは渡辺プロ、いわゆるナベプロで、1970年代は大物歌手からアイドル、バラエティーの大御所まで揃えていましたが、80年代に入るとその影響力が低下し、彼の登場で立て直しを図っている状況だったといいます。

 

●作家陣

作詞は最近亡くなられた三浦徳子さんで、作曲はNOBODYです。

NOBODYというのは、相沢行夫さん、木原敏雄さんの2人組で、彼らは矢沢永吉さんとは同級生で、そのソロ初期から作詞を担当したり、バックバンドを務めたりなど、永ちゃんと浅からぬ縁のあるメンバーです。

吉川さんの歌の才能についてNOBODYのコメントとして「ひとつの音符に日本語2音が入る歌い方をする」と評していました。

まだこういう歌い方をするメジャーな歌手やバンドが昭和50年代にはなかなか居らず「新しい」と感じられたのだと思います。

 

●アクション

ハンガーといわれた、逆三角形の筋肉質の身体にダブルスーツを着こなしてホントに10代かよ?と思って当時から見ていました。

意外と?そんなにド派手なアクションをする曲ではありませんが、冒頭の足を高く上げるキックが印象的で、そしてサビに入る時にかかとを上げながら内外に素早く動かす独特の足捌きがまた印象的で、上半身より足の動きの方に見入ってしまいます。

 

●歌詞

なんといっても印象的だったのはサビでした。

♪thanks、thanks、thanks、thanks モニカ

の部分、この「Thanks」が違う言葉に聴こえる、とよく言われたものでした。

当時、自分は中2でクラスには、その違う言葉で歌いまくる同級生もいた訳で、意図的にそうやって流行らせる狙いがあったのかな?とも感じました。吉川さん自身がTVに出ていた時は「Thanksって歌ってます」と模範解答をしていましたが…。

同時に英語を学校で習っていた時期でもあったので「Thanks」という正しい言葉もちゃんと流行って、何かしてもらって謝意を述べる時に「oh、サンクス!」という奴もいて、これもまたこの曲の影響力の強さを感じたものでした。

かつてあったコンビニの「SUNKS」の語源は知りませんが、意外とこの曲の影響だったりするのかな?この曲がなかったらサンクスはなかったのかな?とか考えたりしたものでした。

 

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今日の1曲 (250)渚でクロス/荒木由美子(1977)

 

 

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作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

発売:1977(昭和52)年6月10日 (当時17歳)

売上:4.4万枚(オリコン最高56)

1977(昭和52)年6月に発売された荒木由美子さんのデビューシングルです。

 

●作家陣

作詞が阿木燿子さん、作詞が宇崎竜童さんという夫妻の手による作品で、竜童さんのバンドダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマヨコスカ」(1975.4.20発売。最高1位。78.8万枚)などのヒット曲や、翌年には山口百恵さんに提供した横須賀ストーリー(1976.6.21発売。最高1位。66.1万枚)など、すっかりヒットメーカーになったコンビの手による作品で、横須賀ストーリーの翌年にリリースされました。

 

ホリプロタレント

荒木由美子さんというと、この後の「燃えろ!アタック」のようなスポ根ドラマの主人公として有名で、ホリプロ・タレントスカウトキャラバンの第1回の審査員特別賞を受賞してデビューしたといいます。(この時のグランプリが榊原郁恵さんでした)

デビュー当初は山口百恵さんのような路線を狙っていたのでしょうか?郁恵さんとは正反対といえますが、2枚目シングル「ヴァージン・ロード」までこのコンビによる作でした。

その後他の作家陣に変わりますが、1979(昭和54)年発売のシングルから3作は再びこの夫妻の手による作品がリリースされています。

 

オリコン売上

オリコン最高56位に入り、4.4万枚を売上げました。

デビューシングルでこのような売上を記録したものの、以後の曲が100位圏内にランクインできず、7枚目の「ミステリアス・チャイルド」(1979.3.21発売。最高90位。0.7万枚)で約2年ぶりにランクインし、アイドル時代はこの2曲のみが100位以内に入りました。当時テレビ露出はドラマ以外でもそれなりにあり人気は高かったと感じましたが、その割にはレコードはあまり売れてなかったんだな、と感じます。

 

●ハードタッチ

このジャケ写もどこか山口百恵さんの路線が感じられ、ロックなイントロもハード路線で、後の「プレイバックPart2」をどことなく感じさせるものでした。

歌詞をサラッと眺めてみると、風来坊の恋愛ゲームという感じが窺えました。どこから来たかもどこへ行くともわからない、おやじもいないという一人っ子同士、あてのない寂しい二人が偶然ばったり出会って、それから先は??の部分を聴く者に考えさせるような、含みを残した感も窺えました。

イントロやアウトロ、Aメロでもバックでうねるエレキは竜童さんっぽさが強く感じられ、イントロのエレキスタートからのドラムが畳みかけて絡んでくるところがすごいカッコいいですね。これが70年代のサウンドかと!先を行き過ぎた感もありますが、後年聴き直すとやっぱりカッコいいとなります。

 

 

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今日の1曲 (249)恋のぼんちシート/ザ・ぼんち(1981)

3月も半ば、なのに寒い「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:近田春夫

発売:1981(昭和56)年1月1日 (おさむ・まさと 共に当時28歳)

売上:45.3万枚(オリコン最高2)

1981(昭和56)年1月に発売された、漫才コンビザ・ぼんち」のデビューシングルです。

 

漫才ブームに乗って

ザ・ぼんちといえば、一時解散後の長いブランクがあったものの、現在も活躍する漫才コンビで、すっかり重鎮的存在ですが、1980(昭和55)年日本中に巻き起こった「漫才ブーム」の中心にいた存在で、ツービート、B&B紳助竜介などと共に一大ムーブメントの中にいた存在でした。

それまで、漫才師や漫才コンビの出すレコードといえば、芸風そのもののギャグ路線であったり、そうでなければド演歌であったりしたものですが、いわゆる歌謡系・ニューミュージック系の楽曲で漫才コンビがレコードをリリースするというのは、この漫才ブームの異常なまでの人気がもたらしたものと思います。

実際、ツービートやB&Bなど当時時代の先頭を走っていた漫才コンビもレコードを出しており、それらはそんなに爆発的なヒットはしませんでしたが、ぼんちのこの曲だけはオリコン最高2位を記録し、45.2万枚の大ヒットを飛ばし、ザ・ベストテンなどの歌番組にも出演し歌を披露していました。

1981年の1月1日にリリースされ、ジャケットの右上にも年月が表されていました。

個人的に、ちょうどこういうテレビの歌番組を見始めた頃に、彼らがベストテンにランクインして歌っていたので本当によく覚えています。

 

●タイトルはセルフパロディ

ついこの前まで知りませんでしたが、このタイトル名は作詞作曲した近田春夫氏の作により自身が元いたグループにあたるテクノグループジューシィ・フルーツのセカンドシングル「なみだ涙のカフェテラス」(1980.10.1発売)の両A面として発売された「恋はベンチシート」が元ネタで、近田氏自身が作詞を出掛けていますが、いわゆるセルフパロディで曲名を拝借した格好となっています。

 

●ワイドショー仕立て

♪そぉなんですよ山本さん!

と当時、小学校でも流行っていたこのフレーズで大人気を博して、

「俺山本さんやるから,オマエ川崎さんな!」とか言って、クラスの友達とこの曲のフレーズの掛け合いをやったものでした。

当時人気だったお昼のワイドショー「アフタヌーンショー」に出てくる、川崎敬三氏と山本耕一氏との掛け合いなんですが、これをもとに

♪A地点から B地点まで 行くあーいだに すでに恋をしてたんです

と歌われていきます

この曲に出てくるフレーズの

陰気 陽気 ビョーキ

という言葉も学校で流行りました、子供はこの手の言葉はすぐマネしたがるので、絶好のネタでしたね。

最後、おさむちゃんが訳の分からない言葉を叫びまくった後、まさとさんが言う「おまえはビョーキやろ!」なんてフレーズは常日頃口癖レベルで言ってましたね(笑) 

ちなみに関東の方は「ぼんち」の「ぼ」にアクセントをつけて「んち」といいますが、関西人は「ぼち」といいます。

 

●無駄なまでに豪華すぎるバック

ブームというのは恐ろしいもので、それまで到底漫才コンビが出さなかったジャンルの楽曲をリリースする事となり、ジャケットはアイビールック風にキメた2人のカットでトレンディーなもので、作詞作曲には音楽シーンの先端で突っ走っていた近田春夫氏が起用され、編曲は鈴木慶一氏で彼の率いるムーンライダーズがバックバンドをやっていたといいます。

当時小学生だったので彼らの名前もどんな人たちかも知りませんでしたが、今から考えたら重鎮中の重鎮がこの楽曲に動いていた訳です。

当時、音的なものは全然意識しておらず、当然のように超人気だったぼんちの二人の掛け合い(といっても、ほとんどおさむちゃんが喋ってる訳ですが)ばかりに目が行ってたものでした。

しかし今改めて聴いてみると、間奏部分は、子供の頃は♪ぼんぼんち ぼんちぼんち のコーラスぐらいしか意識が向いていませんでしたが、すごくロックな感じでエレキバリバリに効かせた演奏が堪能でき、こういういわゆるコミックソングにここまでバリバリの演奏する?ってぐらいプロミュージシャンの技が結集された感覚を受けました。

サウンド面でも当時の時代から考えて、もっともっと評価されて良い曲だと思います。

 

ちなみにぼんちはその後も数枚レコードを出していますが、漫才ブームの退潮・終焉と共にセールスも伸びなくなり2年間ほどでレコードリリースは終わりますが、本当にこの曲が「時代の波にのった」曲である事を改めて感じました。

 

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今日の1曲 (248)街角のラブソング/南沙織(1977)

3月も10日になりながら、まだまだ寒い「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:つのだ ひろ

発売:1977(昭和52)年7月21日 (当時23歳)

売上:4.0万枚(オリコン最高36)

1977(昭和52)年7月に発売された南沙織さん23枚目のシングル曲です。

 

南沙織さんの楽曲では、過去に以下の記事をupしています。

 

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●後期のポップナンバー

シンシアこと南沙織さんの23枚目シングルで、この翌年には芸能界を引退しますが、23歳の誕生日を迎えた月に発売されています。

南沙織さんの20歳以降のシングル曲、特に昭和50年以降のシングルは、大人っぽい作風でしっとりとした楽曲が目立ちますが、この曲はそういう意味ではかなり異色の明るいポップナンバーで、歌い方を聴いていても他の作品とは全く違ったものとなっています。

後に南野陽子さんが「へんなの!」というシングル曲で、それまでと全く違った歌い方のコミカルソングを歌っていましたが、そのくらい南沙織さんもこの曲だけ歌い方が違っていました。決してコミカルソングではないのですが、歌い方はちょっとコミカルでした。

 

オリコンチャート

オリコン最高は36位で、売上は4.0万枚でした。

チャート的には「人恋しくて」(1975.8.1発売。最高8位。23.1万枚)がオリコンTOP10入りおよび売上10万枚以上が最後で、後年になるにつれ落ちていきますが、以後の楽曲はオリコン20位には入らず、10万枚も達しない中で、上がったり下がったりを繰り返していました。

この曲が発売された1977年が最もシングルセールス的に低調で、この年4枚リリースしていますが、最も売れたのがこの曲の4.0万枚、他はすべてこれ以下という状況でした。既に23歳で、当時のアイドルとしては年齢的も難しくなってきて、これ以前から大人の楽曲を数々リリースしてきましたが、高まる実力には裏腹に人気は下降線といわざるを得ない状況でした。

そんな中で、この年末のNHK紅白歌合戦にはこの曲で出場し、これが結婚前最後の紅白出場となりました。(のち引退から復帰後に出場しています)

 

●ジャケット

このジャケットを見て「誰?」と思うほど、彼女にもっていたイメージとギャップの大きいビジュアル感じました。

南沙織さんといえば、やはり「黒髪ロングのセンター分け」のイメージが染みついていましたが、この曲ではそのイメージを一新して前髪ありの耳を見せたスタイルになっていました。

これには母親からのアドバイスで、それまでのヘアスタイルでは重く見える、と言われたことがあったといいます。

 

●作家陣

南沙織さんの楽曲といえば、初期は作詞に有馬三恵子さん、作曲には筒美京平さんのアイドル路線の王道コンビで固定でした。

その後は田山雅光さんなどのシンガーソングライター系の作家陣が携わったりしながら、大人の楽曲へシフトしていきますが、この曲は異色中の異色、つのだひろさんの作詞作曲です。「メリー・ジェーン」のヒットで有名な、あのつのだ☆ひろさん(=姓名間の星マークは黒塗りしない「☆」が正規だそうです)の作品で、B面も含めてでしたが、シングルではこの1作限りの担当でした。

つのださんの他者提供は他に、代表的なものとしては清水健太郎さんの大ヒット曲となった失恋レストランとその次作でオリコン連続1位となった「帰らない」があり、後に田原俊彦さんの「騎士道」阿久悠さん作詞に曲をつけています。

 

●スルリとかわすいなし系の詞

誰に電話を聞いても知らないし、番地を聞いてもそこにはいない、とかわしてばかりの歌詞で、会いたくなってもダメよと突っぱねています。二番でも、いろんな噂を知って傷つくと思うけど、こちらは平気よとばかりに♪とても浮気よ と言い放っています。

♪あなたはきっと捕まえられない というフレーズに象徴されるように、男なんかに縛られない、女性の意志の強さを感じる作風で、切々と女心を歌い上げる作風のそれまでの彼女の楽曲からはガラっと変わり、カラッとした女性が描かれています。

 

サウンド

ブラス系の畳みかけるスタートから、ロックっぽくうねるギターや、適度に出てくるコーラス、サビでは妙に爽やかな調子に一転するなど、めまぐるしくテンポや調子が転々とするサウンドは編曲の萩田光雄氏によるものか、つのだ☆ひろ氏のエッセンスも多分に含まれているのか分かりませんが、音を聴いてると結構てんこ盛りな感じで、そういう部分に着目して聴くのも面白い楽曲だと思います。

 

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