今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (257)タイニー・メモリー~小さな思い出~/柏原芳恵(1983)

4月、桜真っ盛りの「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:松山千春

発売:1983(昭和58)年9月21日 (当時17歳)

売上:15.2万枚(オリコン最高6位)

1983(昭和58)年9月に発売された柏原芳恵さん15枚目のシングル曲です。

 

●副題

タイニー・メモリー"~小さな思い出~"と副題がついていますが、この記事を書くまで、その存在を知りませんでした。単純に曲名の和訳なんですが…。

 

●作家陣

松山千春さんの作詞・作曲です。この時期に出た同名のアルバム「TINY MEMORY」が、全曲千春さんの作詞・作曲の楽曲で構成されたもので、その中の1曲となります。

芳恵さんの曲は、ブレイクした7thシングル「ハロー・グッバイ」(1981.10.15発売。最高6位。38.2万枚)はこの4年前に他の歌手が歌っていた曲のカバーで、10thシングル「あの場所から」(1982.7.21発売。最高9位。18.7万枚)も同様のカバー作でした。いずれも他の歌手がシングルとしてリリースしたものでしたが、芳恵さんがシングルリリースしたことによって、世に広く知れ渡ったともいえます。

また、先の「あの場所から」までの、デビュー後10枚のシングルでは「柏原よしえ」名義で、それまでは先述のカバー曲を含め、プロの作詞家・作曲家の手による作品がリリースされてきましたが、その後柏原芳恵名義になってからは、11th「花梨(かりん)(1982.10.1発売。最高10位。18.0万枚)は谷村新司さんの作詞作曲で、次の彼女の代名詞的ヒット曲「春なのに」(1983.1.11発売。最高6位。33.4万枚)は中島みゆきさんの作詞作曲だったり…多彩なシンガーソングライターの楽曲が立て続けにリリースされていきました。

特にバラードの名曲を立て続けにリリースされ、芳恵さんの楽曲の世界観が広がったと思いますし、何を歌っても彼女の独特の柔らかな歌唱が独自の世界をつくり上げていってる感じがします。

 

●愛しすぎたゆえの心変わり

♪涙で戻れるのなら このまま泣いていたい

と、最初から悲しい恋の曲と思われる詞で始まりました

芳恵さんのバラードは前述「花梨」では♪実らぬ恋 のフレーズがあり、「春なのに」は♪お別れですか のフレーズがあり、悲しい恋の歌を感じさせますが、この曲も「あなた」を♪愛して愛しすぎてたみたい で、♪許して 心まで少しずつ 変わってゆく私をどうか と、それまで「あなた」以外の何も見えていなかった自分の心が少しずつ変わっていく事に気づいた、そんな心を描いています。そして♪さよなら 私だけのあなたにするために と綴り、彼の家を出ていこうとする…

そんな悲しい恋心を、淡々と歌い綴っていて、当初あまり歌詞を考えずに聞いていた頃は単純に「雰囲気のあるバラード」ぐらいにしか思っていませんでしたが、ちゃんと歌詞も含め聴いてみると、違った感じ方ができて、こんな感情を逆に淡々と柔らかく歌うのか!と感じました。それこそ「顔で笑って」という感じなのでしょうか。女の情念的なものを微塵も感じさせない、爽やかすぎる歌唱が彼女独特の世界観かなと改めて感じました。

 

 

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今日の1曲 (256)今夜はオールライト/舘ひろし(1985)

ついに2024年度がやってきた「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:売野雅勇/作曲:舘ひろし

発売:1985(昭和60)年5月22日 (当時35歳)

売上:8.5万枚(オリコン最高17位)

1985(昭和60)年5月に発売された舘ひろしさん13枚目のシングル曲です。

 

●ただいま絶好調

西部警察」のシリーズで一躍ブレイクし、その終末期には「泣かないで」がヒットし、そして人気絶頂のまま西部警察が終了すると、いよいよ俳優として一本立ちが期待された頃の舘ひろしさんが出演したのが、この「ただいま絶好調!」でした。

1985年4月にスタートし、西部警察以来半年ぶり、かつ石原裕次郎さんの生前最後の「石原プロ制作」のドラマでしたが、この作品で実質的な主人公を演じ(クレジット上の主演は渡哲也さん)、そしてこの曲が主題歌に起用されました。

このドラマでは、アルバイトをしながらロックバンドの活動をやっていて、マジソン・スクエア・ガーデンでの公演を夢見ながら、日々奮闘する姿が描かれ、そのバンドのリーダー兼ボーカルの役でした。

そのバンドが演奏する曲として、主にこの曲が使われていました。

劇中では、峰竜太さんがドラムを叩き、松本伊代さんがキーボードを弾いて、「欽ドン」のワル夫くんを卒業したばかりの西山浩司さんがベースを弾き、後にバス旅で人気を博す太川陽介さんがギターを弾いていました。

 

●マイルドなロック

舘ひろしさんといえば、昔は伝説の(って今も活動中ですが…)ロックグループ「クールス」の"ボス"として独裁的リーダーで、不良をウリに革ジャンとリーゼントとハーレーで、当時のシーンをけん引する存在でしたが、西部警察で売れるにつれ、大人のセクシーさがウリになり、しばらく歌手活動を休んでいるうちに、ボーカルもムーディーになって、̚カドが取れて丸くなっていった感がありました。

30歳を過ぎたあたりから歌にムーディーさが目立つようになりましたが、ロックではじけた楽曲もあったり、世間的に人気の出る前はバリバリのロケンローラーでした。

「泣かないで」のリリースが34歳、実に3年ぶりシングルでしたが、ロックのかけらもなかったですね(笑)

以後の舘さんは、マイルドさとムーディーさが顕著になりますが、この曲はそんな中でも、まだロックに寄った楽曲です。

なにせ海外公演を夢見るロックバンドの自作曲、という設定なので、これがロックではない訳がない、という具合です。

 

●売上

オリコン最高17位にランクインし、8.5万枚の売上を記録しました。

前年の「泣かないで」で初&現時点唯一のオリコンTOP10入りを果たしていますが、この曲はその次に売れた作品で、「泣かないで」余波みたいなものは少なからずあったと感じました。

 

●オーライの曲

この曲を語ると「ただいま絶好調!」の話ばかりになってしまいますが、番組のオープニングは出だしから「ワーンツースリーフォー!」と舘さんが叫ぶスタートで、その後ドラムのタタンッ!というビートと共に曲が始まります。

シングル原曲ではドラムの叩き出しから始まるので、舘さんのシャウトは番組用につくられたものです。

歌い出しは♪All Rightで始まりますが、このフレーズの実に多い事で、最初ドラマで見た時は「オーライの曲」と思うくらい、多用されていた感がありました。

歌詞の出だしから「All Right」のフレーズを外すと、

女たち、素敵な夜、あげるから、OK?

って、なかなかすごい歌だなと感じます(笑)

♪寂しいのは オマエだけじゃない~

の部分は、最初はがなり気味で内ッてるかと思いきや、後半急激に甘ったるい歌唱になる、オトナの舘さんならではの歌唱法で、緩急のすさまじさを感じました。

 

これまで舘ひろしさんの楽曲では以下をUPしました。

 

↓クールス時代

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↓以下は実質ソロ楽曲です

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↓「ただいま絶好調!」のDVDもあります

[rakuten:youing-gaba-siro:10384724:detail]

今日の1曲 (255)うそ/中条きよし(1974)

3月末、ようやくそして急激に暖かくなった「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃

発売:1974(昭和49)年1月25日 (当時27歳)

売上:154.1万枚(オリコン最高1位) 1974年度年間3位 オリコン歴代シングル82位

1974(昭和49)年1月に発売された、中条きよしさんのデビューシングルです。

 

●3度目の改名の末

中条きよしさんのデビューシングル、と書きましたが当時27歳で、28歳を迎える直前でした。

五木ひろしさんなどもそうですが、度重なる改名の末に再デビューしてようやく「当たった」となるケースが極まれにあり、中条さんもこのケースでした。

最初のデビューが1968(昭和43)年10月というので22歳の時でした。最初の名前で2曲、次の名前で1曲、シングルリリースをするも結果が出ず、2度の改名を経て中条きよし名義で出した最初のシングル曲でした。

 

●大ヒット曲へ

2度の改名を経ての再々デビューという状況、おそらくこれでダメなら…の思いもあったかと思いますが、これが発売して3ヶ月も経つとオリコンTOP10にまで顔を出すようになりました。

当時は今みたいに発売、即ランクインして翌週には消えるみたいな形ではなく、もっとじわじわと売れていき、長くレコードが買われ、有線などでかかっていたので、今とは全然違いますが、TOP10入りしてから6週ほどで遂にオリコン1位」に輝き、しかも「8週連続1位」の座に君臨し続けていました。

五木ひろしさんのよこはま・たそがれのように、改名を経ての苦節何年…で見事に花開いた訳ですね。

そんな大ヒット曲となりましたが、それでも1974年度では年間3位でした。まだ上が2つもあるとは…というところで、当時のヒット曲の凄さが窺えます。

累計売上枚数は154.1万枚とされ、既に半世紀以上の歴史を誇るオリコン全体でも「82位」の売上記録を持つ大ヒット曲となっています。

 

●作家陣

作詞は山口洋子さん、作曲は平尾昌晃さんです。

これは前述「よこはま・たそがれ」と同じコンビで、いわば演歌界の再生工場的なものとも感じました。これらの曲だけでなく、このコンビはこの時代実に多くの曲を生み出した黄金コンビな訳です。

 

●詞

♪折れた煙草の吸いがらで あなたの嘘が分かるのよ

といきなり、何が起こっているのか分かる描写が素晴らしいですし、これを中条さんのような方が歌うのがまたハマってると感じました。

この曲の詞は実話に基づいてのものだそうで、山口さんの経営する店のホステスが彼氏の家に行ったら、口紅の付いたたばこの吸い殻があったといいます。そこから、男に「うそ」をつかれた女の心理を巧みに歌詞に表現しています。

この男は悪人要素が感じられず、でも本気では愛してくれず、あくまで「優しい嘘」をつき続けながら、愛してくれる(フリをしている?)そんな男のようで、これが憎めない要素である事も感じます。

 

●曲

複数の記事に見られましたが、当初平尾さんは中条さんのホストっぽい雰囲気に正直乗り気ではなかったそうですが、彼とマネージャーが何度も頼みに来て、実際会ってみて感じの良い人と受け取り、曲づくりを承知したといいます。

この時平尾さんは麻雀をやっていて、自分が外れて仲間4人が麻雀をやっているうちに、山口さんから受取った詞に曲をつけてわずか1時間半でできあがったという「うそ」みたいな早さだった、といいます。

よくいわれるのが、演歌なのに音符が真っ黒で16分音符が多用されているという点です。最初はいかにも演歌らしいメロディーに節回しですが、サビになると早口になったり、1小節に歌う語数?が多くなってて、初めて聴いた時少々違和感がありました。

ただの演歌ではなく、ちょっとポップスっぽい要素を入れてみた、という感じなのでしょうか?サビの部分の音を聴いてると、チキチキチキチキ…と8ビート?のタンバリンのような音がさりげなく入っていました。

平尾さんといえば「必殺」シリーズの劇伴音楽の生みの親であり、独特の殺しのテーマ曲は。その前奏があまりに有名ですが、このシリーズに中条さんがレギュラー入りして役者としてブレイクするのも妙な縁を感じます。

 

●歌手・中条きよしのその後

中条きよしさんはこの大ヒットの後はしばらく歌手として活動しますが、デビュー曲があまりに売れすぎてしまい、そのイメージが強すぎになってしまったのか、後発の曲が売れなくなっていきました。

また元々が役者志望であった事から、1970年代末期にTVの「必殺」シリーズで悪役などのゲスト出演を経て、1981(昭和56)年に「新・必殺仕事人」にて「三味線屋の勇次」として、華麗な殺し技を披露し、またその色男ぶりも相まって役者としてたちまちに人気者となりました。

必殺仕事人としては3作出演後、独立の形で1984(昭和59)年必殺仕切人で同じ三味線屋の勇次役で実質的な主演(クレジット上の主演は京マチ子さん)を果たします。勇次は彼の大当たり役となり、1990年代末期も自身の主演映画として「必殺・三味線屋の勇次」にて50歳を越えるまで演じ続ける事となりました。

最近の人はある曲やある役のイメージが強くなりすぎるのを嫌いますが、歌手として、そして俳優として、それぞれ大きな「当たり」を掴んだ中条さんの足跡は見事だと思います。後のVシネマの重鎮役などもありますが…

その後国政に参戦してビックリでしたが、現在78歳これからもご活躍を祈念しています。

 

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今日の1曲 (254)夢の彼方/矢沢永吉(1991)

2024年ももう1/4が終わろうとしている「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:松本一起/作曲:矢沢永吉

発売:1991(平成3)年4月19日 (当時41歳)

売上:13.3万枚(オリコン最高3位)

1991(平成3)年4月に発売された矢沢永吉さん26枚目のシングル曲です。

永ちゃんこと矢沢永吉さんの楽曲については、少し多いですがこれまで以下にupしてきました。

 

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ここからが本題です(笑)

●Z!

この年に発売された、アサヒ生ビール「Z」のCMソングに起用されました。

当時この曲をカラオケで歌ってたら、周りから「ゼーット!」とめっちゃ言われたのを思い出します。

CMが皆の心に残っていた時代で、またタイアップがあるといわゆる「大きい」時代でもありました。

個人的に、永ちゃんにハマり始めて初めて出たシングルだったこともあり、そのリリースにはワクワクしたものでした。

 

●ゴルフボールにのせて

そのCMはプロゴルファーのグレッグ・ノーマン氏が出演し、そのスイングでゴルフボールがCGによる軌道に乗って飛んでいく演出がなされていました。永ちゃんは歌だけでした。

このCMソングでは

♪夢を 信じろ

と歌われていますが、

原曲では

♪俺を 信じろ

であり、CM用にフレーズを少し変更して録られたものと思われます。

壮大なバラードにして、サビはちょっとラフに歌う、YAZAWA節のきいた楽曲です。

俺は俺であり続けて、どんな時も「太陽を見つけてやる」そんな思いで生きるんだぜ、というよような男の決意表明が感じられ、強くて優しくて、静かに燃えるバラードという感じの楽曲です。

 

●アルバム

先行シングルとして発売され、同時期には日テレ系刑事ドラマ刑事貴族2」の主題歌として「ラスト・シーン」が流れていましたが、この曲も翌5月末にはリリースされ、珍しく2ヶ月連続のシングルリリースとなりました。

そして7月にはアルバム「Don't Wanna Stop」が発売され、その7曲目に収録されています。

このアルバムは個人的に永ちゃんのアルバムで初めて、発売日に買ったもので大変思い入れがあります。

このアルバムについては、記事最下部のrakutenのリンクにあります。

 

 

 

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今日の1曲 (253)NEVER/MIE(1984)

3月下旬が寒すぎて仕方ない「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:Dean Pitchford,Michael Gore (日本語詞:松井五郎)

発売:1984(昭和59)年6月1日 (当時26歳)

売上:27.4万枚(オリコン最高4位)

1984(昭和59)年6月に発売された、MIE(現:未唯mie)さん6枚目のシングル曲です。

 

●「ミー」のソロ曲

当時の表記で、以後「MIEさん」と記しますが、MIEさんはピンクレディーとして日本中を席捲した後1981(昭和56)年春に後楽園球場で解散コンサートを行い、その後はソロとして活動していました。

ソロでは歌手だけでなく女優、タレントなどマルチに活動していましたが、歌手としては解散後早々にブラームスはロックがお好き」(1981.7.5発売。最高51位。3.5万枚)でソロデビューし、その後も何枚かのシングルリリースをしますが、チャート的には不発で尻すぼみとなり、女優としての方が充実していた感がありました。

そんな中でリリースされたこの6枚目シングルで、唯一のオリコンTOP10入りを果たし、また唯一売上10万枚を越えも果たしました。

その後の曲は再び売れなくなりましたが、ソロのMIEとしての代表曲を手にする事となりました。

 

●カバー曲

当時とても多かった洋楽の日本語カバー曲で、オーストラリアのムーヴィング・ピクチャーズというバンドのNeverという曲をカバーしたものだそうで、1980年からブランクを経て現在も活動しているようです。

なので作家陣も作詞作曲は海外の方々で、日本語詞として松井五郎さんがあてています。

 

不良少女とよばれて

この曲がブレイクしたのは、なんといっても当時大流行の"大映ドラマ"不良少女とよばれて」の主題歌に抜擢されたことが大きいと思います。

高視聴率が確実視されたような時間枠(スチュワーデス物語の後番組)で、いとうまい子さんがそれまでの線純路線からガラリと変わって迫力のある乱闘シーンなどが流れる中、MIEさんが歌い上げ、ラストはシャウトする…という形が、当時のお茶の間にはすんなり入っていったのではないかと思います。少なくともうちの家庭ではそうでした(笑) 伊藤かずえさんや松村雄基さんなどもこの番組からブレイクしました。

大映ドラマは、この前後の麻倉未稀さんの主題歌フラッシュダンス …ホワット・ア・フィリーング」「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」や、葛城ユキさんの「ハートブレイカー」など、洋楽カバーのロックな主題歌を多く採用し、ドラマと共に存在感を増していた事を感じます。

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●歌唱

ピンクレディーの頃からは考えられない、がなり声やシャウトなど、全面的にロック・ヴォーカルという感じで、詞もメッセージ性が強く、

♪今すぐに そうよ始めるの

の部分は、後の「今でしょ」に通じるものがあります(笑)

そしてなんといっても印象深いサビの

♪NEVER NEVER NEVER EVER (×2)

の部分、当時中二だったので英語で「NEVER」とか「EVER」とか習いだした頃だったので、すごく印象的でした。

また「ネボネボネボ」とか「ネバネバネバ」とか人によって、こんな風に聴こえる、というのもクラスで話題になりました。

これに続いて

♪ If 愛さなければ

の部分、「あ・い・さ・な・け・れ・ば」と1音ずつ歌うのも印象的でしたが、ここも学校の英語の授業で、「If…,Then…」の構文を習っていた頃だったので、ここも印象深いものがありました。単に楽曲だけでなく、これに絡む当時の状況(英語で習っていた内容とか)も相まって、思い出深いものとなったり、音楽の面白さを改めて感じます。

♪Oh、NO~! You Never フラーーーイ Ah------

のシャウトが締めくくりにあまりに相応しすぎ、かつ印象深すぎで、MIEという歌手に初めて世間的にロックの要素が見出されたように思います。ソロデビュー曲には「ロック」のタイトルがついていましたが…。

また、二番の歌唱は、一番とは少し違って上ずり気味に歌われていて、カラオケで一番と二番と同じ調子で歌わないよう、要注意です(笑)

 

サウンド

独特の出だし、タラララ ララララ…というきらびやかなサウンド(原曲を見るとキーボードで演奏されていました)が流れてきたら、すぐにそれと特定できるこの音がやはり印象的です。

この音を聴くと曽我笙子がチェーンを振り回している様が思い出されます(笑)

その後、歌い出しまでのサックスの長い音も存在感大きく響きわたっていますが、この音はアウトロでも存在感を発揮しています。

 

 

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今日の1曲 (252)マーマレードの朝/中村雅俊(1980)

3月も下旬に差し掛かるというのに、朝は真冬並みの「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:桑田佳祐

発売:1980(昭和55)年9月1日 (当時29歳)

売上:不明(オリコンチャートインなし)

1980(昭和55)年9月に発売された中村雅俊さん13枚目のシングル曲です。

 

中村雅俊さんの楽曲では、過去に以下について記事UPしています。

 

▼表通りは欅通り(1981)

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▼燃える囁き(1983)

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●20代ラストシングル

1980年9月のリリースで、当時雅俊さんは29歳。

次の「表通りは欅通り」は30歳になったばかりの1981(昭和56)年2月10日にリリースされており、20代では最後のシングル曲となりました。

と共に、これほどの長い髪でのジャケットもこれが最後で、次作からは短めの髪になっていきます。長い髪でも特にこの時期はアフロにしてて、ヒゲを生やしていた時もあり、かなり風貌的にワイルドな時期でした。

 

オリコン売上

オリコン100位以内にランクインがなく、売上枚数は不明です。

この時期の雅俊さんのシングルは、俳優活動が順調なのと反比例するかのように楽曲は売れておらず、デビューした1974(昭和49)年から1996(平成8)年までの23年間で、オリコン100位以内に入る楽曲が全くなかったのは、本作の出た1980年のみでした。

この年は前作「野生のリサ」(1980.5.1発売)で、シングルでは初めて自身で作曲も担当しましたが、オリコン100位以内に入らず不発に終わり、続く本作も同じ結果となり、更にはドラマ主題歌に起用された「表通りは欅通り」も同じ結果で、シングルセールス的には限界が囁かれていても不思議でない状態でした。しかし、その次の「心の色」オリコン1位に返り咲き、30代になっても安定して歌手活動を継続していました。

 

●作家陣

作詞作曲は、ナント桑田佳祐さんです。

この時期の桑田さんはまだ独身で、サザンオールスターズとしての楽曲も売れたり売れなかったりで、絶対的な立ち位置という感じではありませんでした。なにせまだ24歳だったので。

しかし桑田さんの作品をもってしてもオリコン100位以内に入る事ができず、思うにちょっと難しすぎたのかな?と感じます。

のっけから延々と英語詞で歌われていて、洋楽?みたいな感じで、とっつきにくかったのではないかと思いました。1番はほとんどが英語で最後の1フレーズだけが日本語で、

♪波を打つ あなたの胸

っていかにも桑田さんらしい描写を感じます。

この曲の英語部分はサザンオールスターズわすれじのレイド・バック(1980.7.21発売。最高41位。3.4万枚)のB面「FIVE ROCK SHOW」がそのまんま使われている格好で、これに日本語詞をつけてひとつの曲にしたのが本作でした。

本作が不発だったので、後にこのコンビで恋人も濡れる街角(1982.9.1発売。最高5位。47.7万枚)をリリースしてリベンジしたような事をどこかで聞きました。

 

音にもこだわりが感じられ、オーケストラ風の壮大感もありつつ、サビの部分でのタンバリンの連打のようなインパクトのある音もい随所に散りばめられ、バラードの中に色んな音が詰め込まれている事が感じられます。

 

●「刑事珍道中」主題歌

本作は自身が主演した映画「刑事(デカ)珍道中」の主題歌に起用されました。

勝野洋さんとのW主演的なコンビ刑事ものでしたが、「ニッポンの恥」といわれた二人組の巻き起こすドタバタ劇で、映画よりもTVの連続ドラマで見たかったなと思いました。

後に放映される「あぶない刑事」の少し若くてかっこ悪い版みたいな作品でしたが、スタッフもそのあたりの布陣で、プロトタイプ的作品だったと思います。それまでは「俺たちの勲章」というコンビ刑事もので雅俊さんは純情な青年刑事を演じていましたが、それを80年代に合わせてはじけた作風にしたのかな?と。

 

●独特歌唱の確立期

ハ行を強調する雅俊さん独特の歌唱がこの時期に確立したのかな?と感じました。

それまでは割に素直な歌い方だなと感じますが、本作では日本語詞の最後の方で

♪泣いてあげられるのさ

というフレーズがあり、これを

♪なーてーげられるーのーさー

と歌い、ハ行もですが「あ」を「わ」にするなどもあり、極力「角」を取るような、エッジを外すような歌唱をしていたように思います。これが雅俊節なのかなと。

 

 

今日の1曲 (251)モニカ/吉川晃司(1984)

3月もいよいよ後半になり、ようやく冬の寒さから抜けつつある「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:三浦徳子/作曲:NOBODY

発売:1984(昭和59)年2月1日 (当時18歳)

売上:33.9万枚(オリコン最高4)

1984(昭和59)年2月に発売された吉川晃司さんのデビューシングルです。

 

●新しいヒーロー像

それまでのシーンになかったタイプとしてセンセーショナルにシーンへ登場した吉川晃司さん。

アイドルっぽい要素を持ったソロのロック歌手というのは、当時なかなか居らず、フォーク系には少し居ましたが大きなヒットには結びつかず、所属事務所がそのプロモーションに巨額の費用をかけて売り出し、鮮やかに登場しました。

当時18歳で、アイドルっぽい雰囲気をもちながらも、ニコニコと微笑むアイドルとは一線を画した存在であり、それでいてバンドではなくソロでロックを歌い、シルエットは逆三角形のスポーツマンスタイルという、本当に革命的な立ち位置のニューヒーローの登場でした。

この曲でのデビューと同時に映画「すかんぴんウォーク」(本作はその主題歌)での主演デビューも果たし、まさに鳴り物入りでシーンに殴り込みをかけるように現れましたが、そんな彼の登場がもう40年も前とは…いま改めて驚きです。

 

●莫大なプロモーション

デビュー映画の予算は1億円!、歌手活動に絡む費用は5,000万ともいわれ、

これまでなかったキャラクターには莫大な費用をかけられ、社運を賭けた一大プロジェクトといっても過言ではないレベルでした。

その事務所とは渡辺プロ、いわゆるナベプロで、1970年代は大物歌手からアイドル、バラエティーの大御所まで揃えていましたが、80年代に入るとその影響力が低下し、彼の登場で立て直しを図っている状況だったといいます。

 

●作家陣

作詞は最近亡くなられた三浦徳子さんで、作曲はNOBODYです。

NOBODYというのは、相沢行夫さん、木原敏雄さんの2人組で、彼らは矢沢永吉さんとは同級生で、そのソロ初期から作詞を担当したり、バックバンドを務めたりなど、永ちゃんと浅からぬ縁のあるメンバーです。

吉川さんの歌の才能についてNOBODYのコメントとして「ひとつの音符に日本語2音が入る歌い方をする」と評していました。

まだこういう歌い方をするメジャーな歌手やバンドが昭和50年代にはなかなか居らず「新しい」と感じられたのだと思います。

 

●アクション

ハンガーといわれた、逆三角形の筋肉質の身体にダブルスーツを着こなしてホントに10代かよ?と思って当時から見ていました。

意外と?そんなにド派手なアクションをする曲ではありませんが、冒頭の足を高く上げるキックが印象的で、そしてサビに入る時にかかとを上げながら内外に素早く動かす独特の足捌きがまた印象的で、上半身より足の動きの方に見入ってしまいます。

 

●歌詞

なんといっても印象的だったのはサビでした。

♪thanks、thanks、thanks、thanks モニカ

の部分、この「Thanks」が違う言葉に聴こえる、とよく言われたものでした。

当時、自分は中2でクラスには、その違う言葉で歌いまくる同級生もいた訳で、意図的にそうやって流行らせる狙いがあったのかな?とも感じました。吉川さん自身がTVに出ていた時は「Thanksって歌ってます」と模範解答をしていましたが…。

同時に英語を学校で習っていた時期でもあったので「Thanks」という正しい言葉もちゃんと流行って、何かしてもらって謝意を述べる時に「oh、サンクス!」という奴もいて、これもまたこの曲の影響力の強さを感じたものでした。

かつてあったコンビニの「SUNKS」の語源は知りませんが、意外とこの曲の影響だったりするのかな?この曲がなかったらサンクスはなかったのかな?とか考えたりしたものでした。

 

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