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昭和61年 さらば「太陽にほえろ!」特集①

今回記事は昭和61年11月に発売された「ザ・テレビジョン」の中の記事です。

 

昭和刑事ドラマの金字塔太陽にほえろ!が、昭和47年7月21日から14年4ヶ月にわたり、全718回放送されてきましたが、この昭和61年11月14日に遂にその最終回を迎えるという事で、巻頭5ページにわたって特集記事が組まれました。

 

「14年間の捜査日誌の全記録」とありますが、さすがに全話のリストとかストーリー紹介がある訳ではありません。ざっくり14年間の軌跡を追う形です。

 

この写真のレギュラーメンバーの集合カットは1977(昭和52)年頃と思われます。

「殉職」という形での番組降板の多かったこのドラマにおいては、メンバーを見るだけで年まで特定し易いのですが、このメンバーでは2年以上不動の「超安定期」であり、この体制は昭和52~54年まで続いていました。

昭和52年と特定したのは、帽子にヒゲのロッキー刑事(木之元亮さん)が帽子を被っているところで、その登場当初はよくこのデニム帽をかぶっていた為です。

 

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▼5ページ中の2ページ目にあたります。ここからが本編です。

 

吠え走り死んだ、とありますが、このドラマは「走る」ドラマであり「死ぬ」ドラマでもありました。

 

新しく刑事が登場しては走りまくって大活躍をし、そしてその死をもって番組を卒業する、そんなパターンを生み出した番組で、そのスタイルは後に続く刑事ドラマに多大なる影響を与えました。

放送14年余りで殉職者は実に11名を数え、前半は新人刑事が去り、後半は世代交代の為かベテラン刑事まで死を遂げる事となりました。

 

「刑事主体の内容」とありますが、この点も当時の刑事ドラマとして画期的なものであり、それまでの刑事ドラマは、どちらかというと「犯罪」や「犯人」に主眼が置かれ、刑事がストーリーの中心に置かれる事が皆無であったといい、この点も後の刑事ドラマに大きな影響を与えています。

 

その他、後年の刑事ドラマへ与えた影響を箇条書きします。

  1. 刑事にスポットを当てたストーリー構成により、刑事の感情、アクション等クローズアップし、刑事のキャラクターを浸透させ、その刑事のファンを掴んだ
  2. 殉職により番組を卒業させ、その後任として新人刑事を登場させ、次々と新たなヒーローを生み出した
  3. 刑事にニックネームをつけ、その刑事のキャラクターを明確化し、ニックネームで呼び合った
  4. 若手刑事はスーツではなく、ジャンパーなどラフな格好で捜査をしていた
  5. 刑事同士のコンビネーションでストーリーに厚みを増し、後のコンビ刑事ものの源流となった

等々、後発の刑事ドラマに「こんな点あるな」と思わせるものが揃っていました。

 

最初の新人刑事はマカロニ刑事こと早見淳(萩原健一さん)です。

この記事マカロニ時代だけモノクロ写真になっていますが、テレビではカラーで放映されていましたので、一応念のため。

初回からいきなり22%の高視聴率を取ったとありますが初期視聴率はまだそれほど高くなかったようです。このマカロニの登場をもってドラマはスタートしましたが、以後はマカロニの活躍を中心にドラマが展開され、マカロニを主人公にして刑事ドラマの名を借りた「青春ドラマ」の色が濃かった時代でした。

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そんな実質的主人公のマカロニが登場後(すなわち番組スタート後)1年で「殉職」の形で降板してしまいます。演じた萩原氏が「新人としてもうやり尽くした、あっけなく犬死にしたい」旨の発言をし、慰留空しく主役に等しいマカロニは呆気なく殉職してしまいます。絶体絶命の難を逃れた事件解決後、立小便後に金目当ての通り魔に刺されるという文字通りの犬死にで。(昭和48年7月13日)

 

当時の実質主役がいなくなる!連続ドラマ史上かつてない事態に陥りながら、番組は終了する事なく続いていきました。これもまたかつてない事だったのかと思います。

 

続いて1973(昭和48)年に登場したのがジーパン刑事こと柴田純、演じるは松田優作さんです。

萩原氏はそれまで歌手としてグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のメインボーカルとして、「タイガース」の沢田研二氏と共に一時代を築いたスーパースターであり、異世界の大スターが俳優界に進出した格好ですが、松田氏は映画にこそ出ていたものの実質的なデビュー作同然の状態でやってきました。

マカロニ刑事は青春色が強かったですが、ジーパン刑事期はこれに「アクション」の要素が加わりました。マカロニのアクションはただがむしゃらな感じでしたが、ジーパンの走り方含めたアクションはひたすらダイナミックで、長身から繰り出す豪快なアクションもこの当時の大きな見どころのひとつでした。

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ジーパンもマカロニと同じくわずか1年で俳優自身が降板を申し出、これによりジーパンも殉職する事となりました。

多数の敵を相手にマカロニ同様単身での銃撃戦、見事これを制して助けた男に歩み寄り「拳銃渡せ…」と静かに呟いた後、怯えきっていた男は錯乱し、事もあろうにジーパンの腹へ銃弾を暴発し逃走。何が起こったか分からないジーパンは暫くして漸く悟り「なんじゃこりゃあ~」とあの有名なセリフを絶叫し、倒れ込んでしまいます。犯人は全て片付け、助けた男に逆に撃たれてしまうというこれもまた犬死にでした。(昭和49年8月30日)

 

スクリーンの枠からはみ出んばかりのスケールと存在感で活躍してきたマカロニ、ジーパン、演じた俳優のその後を考えても、いかに存在感が大きかったかが分かると思います。

 

続いて1974(昭和49)年に登場したのはマカロニ、ジーパンのような長髪タイプと対照的なテキサスこと三上順(勝野洋さん)。

演じる勝野氏はそれまで大学生でずっと留年していて、劇団に居たところ誘われて俳優になったという事で、このドラマがデビュー作となった最初の俳優で、以後しばらくはこのドラマをデビュー作とする新人が続いていきます。

テキサスはそれまでの少々斜に構えた若者と対照的な、スポーツ刈りの短髪に体育会的で素直で従順なキャラクターであり、柔道の技を駆使して新たな魅力をスクリーンを通して振りまきました。

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そんなテキサスは本人意向ではなく、それまでの通例のように1年で殉職の時を迎える気運になりつつありました。しかし「殺さないで!」というファンからの助命嘆願が多数にわたり、結果テキサスは延命、あわや殉職の大危機を迎える「死ぬな!テキサス」を経て次の回は新人刑事ボンこと田口良(宮内淳さん)を迎え、テキサスは先輩刑事に、新人刑事が初めて後輩をもつようになり、また若手コンビを形成して、番組のエネルギーは更に活発なものとなりました。

テキサスは結局2年を迎えたところで満を持して?の殉職、それまでの刑事たちが呆気なく犬死にしたのに対して、10人の犯人と銃撃戦の末に撃たれ、何発ものライフル弾を撃たれても撃たれても立ち向かい、遂には最後の男のライフルを撃ち落として先輩刑事たちに言葉を遺して息絶えました。この時の視聴率はここに37%とありますが、他の会社では実に42%との記録も残っており、番組史上最高の視聴率をこの回で叩き出しました。(昭和51年9月3日)

 

4人目の殉職者は先述のぼんぼん(ボン)刑事で、テキサス殉職は番組で2年ぶりでしたが、更に3年後の事で、この時期はそれほど殉職が多発していなった頃でした。

ボンは1975(昭和50)年に初めて殉職後の後任ではない「増員」の形で登場し、先輩テキサスと若手コンビを組み、テキサス亡き後に先輩刑事になれず、格上のスコッチ(沖雅也さん)が登場し、いちばん下の時代が続きました。スコッチが半年で転勤しても後任補充が暫くなく、わずか3か月だけながら若手刑事単独時代を経験し、その最後の刑事となりました。

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1977(昭和52)6月に初の後輩ロッキー刑事が登場したことにより、登場後1年8ヶ月でようやくボンは先輩刑事になりました。その後は番組史上類のないほどの安定期に突入し、冒頭の写真のメンバーで不動の2年間を過ごす事となり、ボン・ロッキーの先輩後輩の掛け合いはのちの「あぶない刑事」のコンビに繋がっていったといわれています。

この間、ボンも殉職話が持ち上がっては延期され、結局4年近くの活躍を続け、女性を庇って撃たれ、その彼女を助けるために電話ボックスまで這っていき、ボスに電話がつながったところで息絶えました(昭和54年7月13日)

 

次の殉職者は殿下こと島公之(小野寺昭さん)で、初めて新人刑事ではない刑事の降板劇でした。番組スタートから8年間レギュラーとして活躍し続けてきた殿下にもついに最期の日がやってきました。

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殿下の最期は撃たれたり刺されたりという「殺される」ものではなく『交通事故死』でした。

演じる小野寺氏の意向で「あっさりと殺してほしい」というものが汲まれたのか、一度は監禁され時限爆弾を仕掛けられて絶対絶命の危機に陥りながらスコッチらの助けもあり難を逃れました。そして伊豆へ犯人を追い見事に逮捕し、アメリカから帰国してくる彼女を迎えに行くために空港へ向かう途中、伊豆の崖道で無理な追越しをかけてきた対向車をかわすためにガードレールを突き破って崖下へ転落、車は爆発炎上し、彼の顔が浮かび上がる形でその死を表現するというものでした。(昭和55年7月11日)

 

次は1979(昭和54)年に登場したスニーカー刑事(山下真司さん)で、この写真でも唯一無傷で写っていますが、彼は「退職」の形で番組を去っています。

スニーカーはボン・ロッキーの超安定期の後に登場した「久々の新人刑事」であり、山下氏の登場も本来はもう少し早かったようですが、前任者ボンの殉職が延期された事もあり、デビュー前のテスト出演も異例の2度なされました。

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スニーカーは登場時先輩刑事になったロッキーとコンビを組みますが、後にスコッチが復帰し、ドック(神田正輝さん)が登場し、という中で後輩を迎える事のないまま、1981(昭和56)年に2年間の活躍に終止符を打つ事となります。

妹が犯罪に巻き込まれて殺され、その仇を撃つため単身行動し、射殺せんばかりに怒りを爆発させながらも無事に逮捕し、亡き妹の遺志を継ぐ形で故郷沖縄の海の牧場を継ぐ形で警察を退職し帰郷していきました。(昭和56年9月18日)

ちなみににこの時のスニーカーが殉職でなかったのは、当時ボス石原裕次郎氏が大病で入院中であり、その最中で殉職者を出すのをタブー視されていたからといわれています。

 

このページ最後はスコッチですが、元々はテキサス亡き後の1976(昭和51)年に登場し、それまでにない、波風を立てる反目キャラクターとしての登場でした。先輩刑事を目の前で射殺されたトラウマをもつため、単独行動を好んで行い、仲良しクラブのように見える七曲署の面々とは悉く反発していた、一匹狼の刑事でした。

そんなスコッチは孤高の姿勢を貫きつつ、一係の温かいハートに触れながら刑事としての温かさを取り戻すようになり、半年後の1977(昭和52)年にこれからというところ、上層部の意向で七曲署を飛ばされる形で去る事となりました。

転勤で山田署へ赴任したスコッチは半年後「帰ってきたスコッチ刑事」で1話限りの復帰と、続いて放送300回記念の「男たちの詩」で少しだけ出演を経て、転勤より3年経った1980(昭和55)年に七曲署へ復帰となりました。

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復帰後のスコッチは、当初とは違い若手リーダー的存在へ成長しており、ベテラン刑事と繋ぐパイプ役としての役目も担っていました。まさにこれから番組の中心として活躍を続けるであろうとの見方が大方のところでしたが、演じる沖氏が交通事故その他病気に悩まされ万全なコンディションを維持する事が困難となり、休演を繰り返しつつ、復帰後わずか1年半後の1982(昭和57)年1月に最期を迎えます。

かつて胸に受けた弾丸の古傷により、手術もできない身体に進行しており余命いくばくもない状況となる中、病院で男に襲撃され、それがかつて射殺した男の兄であるという事で、病院を抜け出しその男と最後の決着を仕掛け、死力を振り絞って制しましたが、その供述を取った後に公園の緑の芝生を真っ赤に染める大量吐血をしてしまい、収容先の病院で大好きなサボテンに手が届く事なく、山さんとゴリさんに看取られ病死の形で絶命しました。(昭和57年1月29日)

そして演じる沖氏はこの翌年に自殺をしてしまい、これに後期スコッチの悲しい最期をダブらせるファンも少なくなかったのではないか、と思います。

 

このページの番組離脱者は以上です。

 

下にはプロデューサーとしてあらゆる仕掛けを行い、まさしく「太陽の生みの親」的存在である岡田晋吉氏のコメントと、メインライターとして一定の品位を保ちながら番組をつくってきた小川英氏のコメントが載せられていました。

 

写真を5枚載せるつもりでしたが、文の熱量がオーバーヒートしてしまった為、今回は特集記事写真は2枚に留めて、次回に残る3枚分をお届けしたいと思います。

 

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