今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

昭和61年 さらば「太陽にほえろ!」特集②

今回記事は昭和61年11月に発売された「ザ・テレビジョン」の中の記事で、下記記事の続編です。

 

lefthand926.hatenablog.com

 

▼前回の続きとして、5ページ中の3ページ目です。

続いて殉職刑事たちの記録の軌跡が綴られていました。

 

後半期になりますが、1977(昭和52)年に登場したロッキー刑事(木之元亮さん)は、帽子を含めた全身ジーンズスタイルに顔じゅうヒゲの山男という奇抜極まりない設定の新人刑事でした。

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自分がリアルタイムで見始めた頃の新人刑事が、まさにこのロッキー刑事の頃であり、再放送で見たマカロニ、ジーパンなどとおよそかけ離れていて、今でこそキャラクターとして面白いと思いますが、当時はずっと「なんか違う…」と思ったものでした。幼い自分のデフォルトして新人刑事は「キリッとした精悍な顔立ち」みたいなものがあったので、顔じゅうヒゲだらけのこんな人がいちばん若手??って違和感がありました。それまで新人刑事で坊ちゃん然としていたボンも先輩となり、このヒゲ刑事の先輩に見合うようにするためか?もみあげを伸ばしてオールバックにしてワイルドな風貌に変わっていきましたね。

 

マカロニ、ジーパンの頃は新人刑事の寿命も1年でしたが、テキサスは2年、ボンになると4年と長寿化していき、ロッキーは新人刑事では最長の実に5年余り勤め上げました。その間、2年以上の安定期を越えてようやく先輩刑事になったり、また劇中で唯一結婚した刑事でもあり、翌年には双子の子どもも生まれ、ロッキーこそいよいよ長寿定着化か?と思われましたが、残酷なこの番組?子供誕生の翌年に遂にロッキーにも殉職の日が来てしまいました。

ロッキー殉職の舞台はカナダのロッキー山脈! 

長らく夢見ていたロッキー山脈縦走を叶える為、長期休暇を申請しカナダへ渡ったロッキー、しかし事件を起こした犯人がカナダへ逃げ込んで休暇は返上、捜査に合流し、ロッキー山脈へ犯人を追跡したところ、犯人の放ったダイナマイト爆発を阻止すべく火のついた線を握った瞬間に銃で撃たれ、長さん(下川辰平さん)とドック(神田正輝さん)に看取られ、ロッキー山脈で息絶え、遺骨はヘリコプターから山脈へ風葬されました。(昭和57年8月20日)

 

続いては、殉職ではなく転出ですが、番組スタートから活躍を続けてきたベテラン刑事の長さんです。ちなみに「長さん」のあだ名はこれ以前の刑事ドラマから使われていますが、この長さんも例外なく巡査部という階級から取られたと思われるもの(明確な描写はありませんが…)で、個人的には最年長だから長さんかと勝手に思ってましたが…

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派手な活躍をする七曲署一係にあって、地道な捜査で事実をコツコツと積み上げていくいわゆる「叩き上げ」の典型である長さんは地味ながら、ボスさえも一目置く存在でした。

また独身者が殆どである一係にあって妻子ある「家庭の親父」的な側面も長さん主演作品には少なからず描かれていました。

そんな長さんのラストは、カナダでロッキーを目の前で失い、ロッキーを射殺した犯人に正面から立ち向かい、途中で腕を撃たれながらも、猪突猛進で犯人に体当たりし、無事にロッキーの敵討ちを果たして日本へ帰国した時に、全員の前で長さんの口から語られました。

「ロッキーのような、優秀な刑事を育てたい」

 その想いで、以前より誘いのあったという警察学校の教官への転出というものでした。

ロッキー殉職後の翌週、長さんは七曲署を去って行きました。結果的にスタート時のメンバーでボスを除いて唯一生き残ったのが長さんになりました。(昭和57年8月27日)

尚、長さんは翌年にブルースという新人刑事を警察学校から七曲署へ送り出しており、また「殉職刑事たちよ、安らかに」というSP版での出演、更にはボス栄転後のPART2にレギュラー復帰しており、太陽にほえろ全体の最初と最後に出演した唯一の刑事、となっています。

 

スコッチの死、そしてロッキーの死、長さんの転出、と激震の続いた七曲署の1982(昭和57)年でしたが、更に激震が走ります。

 

やはり番組スタート時のメンバーで、10年間現場で兄貴分として新人教育係として常に先頭に立って引っ張ってきた旗頭的な存在であるごり押しのゴリさん(竜雷太さん)の殉職です。

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「まさかこの人までもが!」というくらいその殉職の報が衝撃でしたが、当時「太陽にほえろ!」のOB含めた同窓会イベント的なものがTVで放送され、その番組上で演じる竜さんの口から語られました「10月1日、殉職します」と。そしてその殉職回は番組史上初の「90分スペシャル」で放送されました。

その最後は、麻薬患者による拳銃乱射等の事件が乱発し、街が荒廃していく姿に、覚せい剤を広める暴力団への激しい憎しみを募らせたゴリさんは、捜査を進めるうちに覚せい剤の工場のカギを握る男に出会い、必死にその在り処を探ろうとします。そんな中で、ゴリさんは恋人の晴子さんとの結婚式を決めあぐねていましたが、見かねたのかボスが2人の結婚に関して「任せろ」と言ってきました。

そのうちに麻薬工場のカギを握る彼は暴力団からつけ狙われ、やがて激しい銃撃戦が展開され、ゴリさんは身体を張って彼を守ります。そんな姿を見て、最初は証言を拒んでゴリさんに反発していた街の男たち(ダンプ運転手や土方など暴力団に屈して暮らしていた)も、ゴリさんに加勢して無事に相手をすべて倒す事ができました。

全員倒し、更には街の男たちの信用も勝ち得て、満面の笑みのゴリさん。感極まりつつ「…連絡してくるよ」と言いながら、嬉しさいっぱいで署の車の方へ歩いて行くゴリさん。こんなハッピーエンドはないじゃないか!というぐらいでしたが…

しかし残酷なこの番組、、冒頭で逮捕した覚せい剤患者の男が脱走して、銃撃戦の後で転がっていた拳銃を手にした瞬間、ゴリさんの背後から立て続けに放ちました。背後から3発放ち、振り向いてきたゴリさんの腹部にとどめの1発を命中させます。それでも鬼気迫る勢いでこの麻薬患者に手錠をかけるゴリさん。

やがて救急車が来て、ボスと婚約者晴子さんが同乗し、他の刑事たちや街の男たちが後続しました。死の間際に耳の聴こえなかった晴子さんがゴリさんの声が聴こえたといい、「この街を頼みます」とボスへのお願いをして、ゴリさんは息絶えました。

実に11名もの殉職者を出したこの番組において唯一「ボスに看取られて死んだ」のがゴリさんだけです。(昭和57年10月1日)

 

激動の1982年を経て、翌1983(昭和58)年は、ジプシー(三田村邦彦さん)の転勤のみでした。

ジプシーは、スコッチ殉職後の後任として1982(昭和57)年に登場し、やはりクールなキャラクターで過激なタイプの他人に迎合しない刑事でしたが、活躍はわずか1年に終わってしまいました。

これは演じる三田村氏のスケジュールが多忙を極め、必殺仕事人シリーズも当初は途中で殉職の予定がありながら流れて継続出演となり、更に1本主演ドラマが入ったところで降板せざるを得なかったというところでしょうか。

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激動の幕開け期に登場した為、わずか1年の在籍にも関わらず、3人もの同僚との別れを経験しています。当初はクールだった彼のキャラクターも様々な経験を通して、頼もしい刑事へと変貌していきます。特に最終編で山さんに「私はお前を信じている」の言葉には、かなりグッときました。

そして、それまでは他の署で厄介払いされて渡り歩いてきた刑事でしたが、七曲署での働きが認められ、西多摩署から初めて「望まれて」の転勤となりました。(昭和58年2月25日)

1年後に一度限りの再会を果たしています。

 

1984(昭和59)年は、ロッキーの後任として1982(昭和57)年にやってきた元気モノのボギー(世良公則さん)の殉職がありました。

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ボギーは元々短命説があり、演じる世良氏「1年で死にたい」と言うなどありましたが、少し延命して去ったようで、元々はブルース登場前に殉職予定だったのが延期され、ブルース登場が先になり数ヵ月同僚として活動する事となりました。

ボギーの殉職は、最初のマカロニ以来となるナイフによる「刺殺」でした。

事件の証人となる男が彼女と共に外国船に乗って出国するところ、取り押さえに来たボギーに遭遇し、事件の全貌を話しますが、それが巧みに仕組まれた罠であった事などからボギーは証人である彼らを逃がす事としました。

犯人を黙認して逃がす、という刑事としてはあるまじき行為につき、ボギーは辞職を決意し、ボスに連絡し車を返したり、一係へ花を贈ったりしていました。その時買ったバラのカケラの一輪を胸ポケットに差して…。

ボギーは刑事は辞職しても、逃がした彼らに殺人を仕向けた巨悪に対して、単身乗り込む決意を固めていた矢先、人で賑わう花園神社の境内で、組織の仕向けた差し金に四方を囲まれて左胸を一突きで刺され…、胸に差したバラからは鮮血がしたたり落ち、それでも何が起こったか分からず、刺した男と目が合っても何も発せないまま、しばらくの時が流れていました。

やがて刺した男とその仲間は離れていき、ようやくボギーは自分が刺された事に気づきます。「まだやりたい事あんだよ…姉ちゃん、、カッコわりぃなぁ…」の言葉を遺して息絶えます。直後に一係の同僚が駆けつけたのを見て「もうちょっと早かったら死に目にあえたのに…」と勝手に思ったものでしたが、これ以降の全ての殉職は皆独りでひっそり死んでいくんですよね…。(昭和59年4月6日)

 

次は1985(昭和60)年にラガー(渡辺徹さん)が殉職します。1981(昭和56)年にスニーカーの後任として登場した久々の「イキのいい」新人刑事だったラガー、演じる渡辺氏は当時20歳で新人刑事で登場する最年少記録保持者ですが、身体もとてもスリムで殉職時の体型からはおよそ想像もつかないほど精悍な容貌でした。

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ラガーは新人として登場してから1年で4人もの仲間と別れる事となり、それでもずっといちばん下っ端で、後から来たジプシーとも別れても後任マミーがまたも先輩で、なかなか先輩刑事になれませんでしたが、1983(昭和58)年にブルースが登場した事により、1年10ヶ月でようやく先輩刑事になる事ができました。

1984(昭和59)年にはマイコン刑事が登場し、後輩が2人となり、自身の身体も恰幅良くなりすぎてすっかり先輩刑事になり切っていました。1985年からはそれまでジャンパー等ラフなスタイルの服装でしたが一転してスーツスタイルとなり、新人刑事でラフなスタイルからスーツスタイル定着へ変貌した稀有な例として活躍を続け…る矢先でしたが「ラガー倒れる!」の回で事件にて犯人と死闘を演じた際に骨肉種が発覚し、しばらく入院となりました。

その後2ヶ月程度は病院での入院シーンで、後輩が見舞いに来る形での出演となっていました。春先に復帰しましたがその後4ヶ月で、ジャックされたバスを狙う2人のスナイパーと刺し違える形でビル屋上から撃たれ右胸を貫通、背中から大量の噴水の如く血しぶきが流れ、出血多量で絶命しました。最後はエレベータまで這っていき、下の階でエレベータで挟まれて…

渡辺氏がこの時のネタを色々後年笑い話で語っていますが、感動というよりツッコミどころの多い殉職回ではあったと思います確かに。(昭和60年8月2日)

 

そして最後は、本当に「まさかこの人までもが…」と思わされた、山さん(露口茂さん)の殉職でした。番組スタートから1度の欠場もなく積み上げてきた691回…人生の裏の裏まで知り尽くし巧みな推理力と、自白を引き出す「落としの山さん」は常に精神的支柱で、後年は特にボスの補佐役、不在時には指揮を執って一係をリードしてきました。

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七曲署最後の生き残り刑事も、巨悪を逮捕した後の組織の残党の報復を受け、相討ちの形で銃弾を受けました。当初は犯人がすぐ絶命し、山さんは階段を駆け上がっていったので、無事に制したのだ、と思っていましたが…、ボスに電話した後に腕から鮮血が流れ、意識が朦朧とし始め、次に実の親元へ帰す決心をした息子へ電話を終えた際には、電話機も置けない状態にまでなり、そこから夜の街のなかを数歩進んでいくうちに突如倒れ、それはまるで夜の街にひっそりと消えていくようでした。

この殉職ほど後に引かない回はなく、ボスが電話を受けて「山さんが、、死んだ??」と呟くだけで、同僚がその死を聞かされるシーンは全く存在しないという実に「太陽にほえろ!」らしからぬ殉職劇でした。(昭和61年4月11日)

 

山さん殉職後に後任が登場せず、さらにはボス役の石原裕次郎氏が再入院という事で、ボスも山さんもいない太陽にほえろ!がしばらく続きました。この当時の新聞テレビ欄のキャストのいちばん最初は「神田正輝」となっていて、ある意味苦闘の状況が続いたように思います、そんな中で番組は節目の700回を迎えます。

 

そして程なく、苦境に立った番組に新しい風が吹き込みました。

不在となっていたボスの席に橘警部(渡哲也さん)が登場し、ボスの魂を継承する男、として一係の指揮にあたり、また最後の新人刑事としてDJ(西山浩司さん)が登場、それまで新人は180cmと規定されていたルールを根底から覆す、160cmそこそこの西山氏の登場により軽快なアクションという新要素が加わりました。

久しぶりに活力がよみがえった感のある七曲署、苦戦していた番組の視聴率も大幅にupしたそうですが…

ボス石原裕次郎氏が「有終の美を飾りたい」という事で最終回718話にて復帰し、彼が電話を取るシーンで番組は14年4ヶ月の長い歴史に幕を閉じる事となりました。

 

下の欄には番組の脚本を書いた市川森一鎌田敏夫両氏のコメントが載っていました。

市川氏は、セミレギュラーとして出演していた藤岡琢也氏が活躍する回の脚本を書いており、元々刑事であった藤岡氏演じる「鮫島勘五郎」が刑事を辞職しても七曲署と絡み、その職業は探偵、結婚相談コンサルタント、受験コンサルタント、料理教室のオーナーなど実に転々としていました。

 

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▼5ページ中の4ページ目にあたります。

ここではアクションを支える「技斗士」宇二貫三氏についてや、番組のタイトルバックや象徴的なシーンの紹介、殉職報道の度に起きた「助命嘆願」の殺到などありました。ボンは殉職後に演じる宮内氏自身がその霊を慰める会に参加していたり。

 

また海外捜査歴の紹介という事でロッキー殉職のカナダロケ以外にも何度かあり、その事が紹介されていました。

コメントとして俳優の立場からジプシー役の三田村氏のものがありました。彼のこの髪型も過渡期という感じで、この時期独特のスタイルで印象的でした。

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 ▼最終ページです。

小道具紹介や、撮影スタジオの紹介、そして七曲署一係室内のディテール紹介など、なかなかじっくり見れなかったものを写してくれたりしていました。

そして最終回のあらすじ紹介と、最後のスタッフ含めた全員カットと…

次週より続くとされる「PART2」についても若干ふれており、石原裕次郎氏の「太陽にほえろ!」としてはここで終了しますが、その石原氏が尊敬する役者である奈良岡朋子氏を新ボスに据え、寺尾聰氏が新登場し、長さんが復帰するというものでした。好評につき継続の向きも検討されましたが、予定通り3ヶ月で終了し、この翌年である1987(昭和62)年2月20日、太陽は完全に沈んだのでした。

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