今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (96)飛行少年/寺尾聰(1983)

7月も七夕が見えてきた「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

www.uta-net.com

↓音源はコチラ↓

www.uta-net.com

作詞:有川正沙子/作曲:寺尾聰

発売:1983(昭和58)年10月21日(当時36歳)

売上:2.3万枚(オリコン最高39位)

1983(昭和58)年10月に発売された寺尾聰さん7枚目のシングル曲です。

 

寺尾さんは今ではすっかり「俳優」のイメージが強く、宇野重吉さんの息子という事もあり、根っから俳優と思っている方もいるかもしれませんが、芸能キャリアの最初はグループサウンズ「ザ・サベージ」のメンバーであり、ミュージシャンだった訳です。

 

そのサベージで「いつまでもいつまでも」が大ヒットしたと思ったら、すぐにグループを脱退し、石原プロに入って石原裕次郎門下となり映画で俳優としてデビューします。

 

しかし元の土壌がミュージシャンである事もあり、同じグループサウンズ仲間の堺正章さんなどとも親交があり、またミッキー吉野さんともその繋がりで、彼がゴダイゴを結成する時にボーカリストとしてタケカワユキヒデさんを勧めたのが寺尾氏だという話を聞いた事があります。

 

俳優をやりながらもソロ歌手として数枚シングル曲をリリースした(1970年・74年)事もありましたが、1980(昭和55)年の「シャドー・シティ」(最高3位。54.2万枚)からオリコンチャートに初ランクインし、その後「出航(SASURAI)」(最高11位。30.7万枚)そしてそしてなんといってもルビーの指環(最高1位。134.1万枚)の記録的な大ヒットは、当時歌謡ランキング番組で連続1位記録を更新するなど、1981(昭和56)年には一躍「時の人」となっていました。時折しも彼が「西部警察」の刑事役で人気を博していた真っただ中の事でした。

ルビーの指環」が爆発的に大ヒットした事で、他の2曲も連動するように順位を上げ、オリコンでこそ2曲がベスト10入りでしたが、TVのランキング番組では3曲同時にベストテンにランクインした事もあり、当時の寺尾人気の高さがすごかった事を窺わせます。しかもそのどれもが、割に淡々とした起伏の少ない、大きなインパクトを与えない曲ばかりであったことが、逆にすごいと思います。

 

タイトルの「飛行少年」は彼が「西部警察」で壮絶な殉職を遂げる形で降板し、そして所属の石原プロを破門という形で退社した、その翌年の作品となります。

この頃にはTVへの露出がすっかりなくなり、辞め方が良くなかったせいか、その後の作品に恵まれず、人気刑事ドラマを卒業するといよいよ1本立ちしてさらに飛躍する役者の多い中で、すっかりその姿を見かけない「あの人は今」に近い状態になったな、と個人的に当時感じていました。

そんな中、あるラジオ番組を聴いていたら、この曲が流れてきて、慌ててラジカセの「録音ボタン」を押して、曲途中からの録音に成功して、後でよく聴いたものでした。当時の状況的に少し過去の人感もあってか、オリコン最高39位、2.3万枚の売上に終わりましたが、それでもしっかり圏内に入ったのは、俳優としては見なくなったけど、歌手としてレコードを出してくれて嬉しい、と思ったファンが一定数いたのかもしれません。

 

歌い方は、どの曲も同様に「寺尾節」の淡々とした、としかいいようのないものでしたが、ちょっとポップ寄りかなというところで、音が全体的に美しいというか、適度にポップで適度に癒しな感じなのです。

最初の♪キラララララ…というところも綺麗だし、なんといっても間奏の音がとっても綺麗でかつリズミカルです。木琴っぽい音の連打?の部分が最もツボなんですが、歌い方が淡々な分、間奏などのサウンドで抑揚をつけているのという感もありますし、とても幻想的な音遣い?が感じられて、それこそ歌のない部分も大いに「聴きどころ」かと思います。