11月最初の週末も終わりゆく「今日の1曲」。
今日はこの曲!
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発売:1981(昭和56)年3月10日 (当時17歳)
売上:19.1万枚(オリコン最高11位)
1981(昭和56)年3月に発売された河合奈保子さん4枚目のシングル曲です。
●同名異曲
「17才」といえば、1971(昭和46)年に南沙織さんがリリースして大ヒットした曲であり、その後実に多くの歌手・アーティストがカバーし、アイドルソングの元祖として今日まで語り継がれている、といっても過言ではない曲です。
河合奈保子さんも、その曲をカバーしたの??と思う方もいるかもしれませんが、今回ご紹介の本作は、その「17才」とはタイトルこそ同じものの全く違う作家陣による全く違う楽曲、つまり「同名異曲」な訳です。そう、南沙織さんのあの「17才」以外にこのタイトルで別の曲が存在したのです。
●初の…
個人的には、自分が当時「河合奈保子の新曲」として初めて認知した曲でした。
というのも「ザ・ベストテン」などの歌番組を見始めるようになって、その当時ベストテンにランクインしていた曲のひとつでした。
当然当時17才だった訳で、河合奈保子という人の存在もほぼこれで知ったようなものでした。彼女の場合は「西城秀樹の妹オーディション」で初代グランプリになりデビューしているので、当初からメディア露出もそれなりにあり、存在は知られていたとは思います。
●作家陣
作詞は竜真知子さんで、アイドル時代の奈保子さんのシングル曲は彼女の手によるものが多く、「河合奈保子のシングル曲」の支柱的存在といっても過言ではないと思います。
作曲は水谷公生さんで、この方は2枚目「ヤング・ボーイ」と本作のみですが、この時期多方面のアーティストに楽曲提供やアレンジを行なっています。
元はグループサウンズの初期に「アウトキャスト」というバンドのメンバーとして活躍し、このグループにはやはり同様の方面に進む穂口雄右さん(=キャンディーズ「春一番」など作曲)も在籍していました。
アウトキャストは、「日本ロックの夜明け」ともいわれるグループサウンズの中でも、よりハードな「ガレージパンク」なるジャンルの曲も発表しており、その実力の高さは後年になって評価されています。あとでこの経歴を知りましたが、そんな60年代後半のシーンを賑わした面々が70~80年代は裏方などで活動して別の角度からシーンを支えてきていたんですね。
●惜しくも
オリコンチャート的には最高11位で、惜しくも初のTOP10入りはなりませんでした。
しかし「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などのランキング歌番組にはこの曲で出演していました。
というのも、これらの番組は当時のレコード売上だけでなく、有線放送や番組宛のハガキの数など多方面からの内容を総合して順位が決まっていた為、オリコンでは10位以内に入っていなくても、これら番組に出演していたり、また逆の事もありました。
割とアイドルなどは前者の傾向が強く、TV出演拒否などのアーティスト系は後者である事が多かったように思います。
ちなみに売上枚数的には2枚目「ヤング・ボーイ」(最高13位。18.9万枚)から最高10位台と売上18~19万枚で本作まで3作ほぼ同様に推移していました。次作「スマイル・フォー・ミー」(最高4位。26.0万枚)で初めてオリコンTOP10入りを果たす事となります。
●大人でもない 子どもでもない
歌詞はこのフレーズで始まりますが、当時の「コロコロコミック」に連載されていたマンガ「名たんていカゲマン」に出てくる「怪人19面相」(笑)が♪おとなでもーないー こどもでもーないー と言いながら ♪ああ47才のわたーしー と言って、この曲のフレーズを引用しているシーンがありました。
17才という年齢はとっても気持ちが揺れるんです、ってことを最初に歌われています。
17才の「私」があなたに熱烈に恋をして、ずっと心はあなたでいっぱい、そんな心情を歌い綴っている、という曲です。
♪もうあーなーたーでー いーーっぱいーーー という伸ばす部分での、伸びやかな歌唱が印象的です。健康的な笑顔や八重歯、プロポーションがよく取り上げられる彼女でしたが、確かな歌唱力があったという面も改めて見返して感じるところです。
ラストの♪あぁあー17才の私~ という部分、我々子供の頃「○○才のーわたーしー」とか歌うのを見聞きした事もありました。そのくらいには、人の暮らしに馴染んだ曲でもありました。