遂に、今年最後の労働週を迎えた「今日の1曲」。
今日はこの曲!
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作詞/市場馨:作曲:三島大輔
発売:1980(昭和55)年8月5日 (当時30歳)
売上:89.3万枚(オリコン最高4位) ※1981年度 年間16位 1982年度 年間30位

1980(昭和55)年8月に発売された山本譲二さん6枚目(山本譲二名義では4枚目)のシングル曲です。
このブログで演歌を取り上げることはかなり少ないですが、自分の子供時代には演歌も普通にチャートTOP10を席捲し、その年のヒット曲として時代を色濃く彩る事が多くありましたので、自分のi-Podにも入っています。
●世に出た曲
山本譲二さんを語る上で絶対に外せない曲であり、山本譲二という名前が世の中に広がった曲でもあります。
それまでは1974(昭和49)年に「伊達春樹」の名前で「夜霧のあなた」という曲でデビューし、半年ほど後には2ndシングルもリリースしますが売れず、この名義では結局この2曲で終わりとなりました。当時は角刈りではなく七三分けの長髪で、甘い声で歌っていたのが後の「山本譲二」とは似ても似つかぬ雰囲気でした。
その後は北島三郎さんの弟子になりたいと何度も懇願の末ようやく鞄持ちになったといい、本名である山本譲二名義で1976(昭和51)年に再デビューしますが、1年に1度リリースできるかどうかのペースで、レコード会社移籍を経ても軒並み売れず、この「みちのくひとり旅」も発売当初の数か月は全くの鳴かず飛ばずで、師匠である北島氏からは「この曲でダメならあきらめろ」とさえ言われたそうです。
しかし歌番組で披露されてから火がついて、たちまちその名が知れ渡り、1981(昭和56)年を代表するヒット曲にまでのし上がりました。
この年10月にスタートしたアニメ「じゃりン子チエ」の1話では主人公チエの働くホルモン店の有線放送でこの曲が使われていました。
●売上
オリコン最高4位を記録し、89.3万枚を売上げた大ヒット曲になりました。
それまで前名義含め5曲はオリコンチャートにランクインした事がありませんでしたが、この曲で一気にブレイクし、その後安定した演歌歌手としての地位を築いたのは言うまでもありません。
オリコンTOP100には約1年間となる49週にわたってランクインしており、1981年の年間17位、更に翌1982年も年間30位と2つの年に跨がってヒットを放っていました。
●ジョージカット
この曲がヒットして「譲二(ジョージ)カット」という言葉が流行った記憶があります。
単なるスポーツ刈りの事ですが、彼のマネをして角刈りにする人も結構いたとか聞いた覚えがあります。
ジャケットに時代を感じますが、シャツがインで、でも若干出てるような感じで、そういう着こなしを意図してやっていたのでしょうか?
●ふんどし歌唱
この曲の歌唱で印象深かったのは「ザ・ベストテン」でランクインして出演した際に上半身裸のふんどし一丁で歌っていた時でした。すごくそれが似合っていて「男児」という感じでした。
また高校時代に野球部に所属していて甲子園に出ていた事も同番組で明かされた覚えがあります。
●歌詞
♪ここで一緒に 死ねたらいいと~
のフレーズで始まりますが、今思うと当時の彼の状況と重なる部分を感じます。
改名してレコード会社を移籍しても一向に売れず、崖っぷちの状況で「必死」で「決死」の想いだったと思います。
♪すがる涙の意地らしさ
という歌詞は当時小5の自分には意味が分かりませんでしたが、ニュアンス的なものは感じていた気がします。「すがる涙」って何?どんな涙?とか思っていましたが、細かい事を考えないのが当時小学生だったなと感じます。
ラストの
♪たとえーどんなに…
を繰り返す部分は、情念のようなものを感じたというか、強いパワーみたいもので、テレビで見てても圧倒された感がありました。
♪俺にはお前が最後の女
というフレーズを「俺には」と「お前が」を倒置法でひっくり返されたり、
♪最後の~おんな~
の部分を最後だけをアクセント変えて表現していたりするのも、その場その場で伝えるニュアンスの違いみたいなものを感じました。
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