今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (105)日曜日はストレンジャー/石野真子(1979)

光の勢いで通り過ぎた7月ももう終わる「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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↓音源該当なしだったので、You Tubeより

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作詞:阿久悠/作曲:筒美京平

発売:1979(昭和54)年1月25日(当時17歳)

売上:6.9万枚(オリコン最高19位)

1979(昭和54)年1月に発売された石野真子さん4枚目のシングル曲です。

 

●18歳の直前

 

18歳の誕生日を迎える6日前に発売された曲で、狼なんか怖くないでデビューして10ヶ月程度経った頃の作品です。

 

2枚目「わたしの首領(ドン)」以来のポップな曲で、突き抜けた明るさがあって、歌声は伸びやかな高音が連発されていたり、比較的アイドル然としたイメージで見られがちでしたが、「歌えるアイドル」という事を感じさせる分かり易い曲と思います。

初期の曲で割と彼女の歌の実力を知る事ができる曲、と個人的には思います。

 

●作家陣

 

初期の真子作品は、作詞はずっと阿久悠氏が担当し、作曲が最初2作が先ごろ芸能活動終了ほ発表された吉田拓郎氏、前作「失恋記念日」がキャンディーズの楽曲でおなじみの穂口雄右氏、そして今回は筒美京平氏と結構、作曲者は変わっていってました。

 

阿久悠筒美京平という、当時の売れ線のタッグで作られた楽曲で、これを石野真子さんが歌うという事で、それなりの売上見込みはあったと思いますが、デビュー曲が10万以上売れたのは良かったものの、そこからここまではやや右肩下がりになっていました。そんな訳でこの曲は6.9万枚に終わり、オリコン最高は19位、10位以内に一度も入った事のない彼女の曲の中では健闘した方だとは思います。

 

●休日は別の顔

 

曲のタイトルは平たく言えばそういう事です。

日曜日は普段とは違う、別の顔の私になれる、そういう事で日曜日は」となっているところに、当時の様子が窺える気がします。

学校だってまだ半日通っていた頃で、実際自分も当時小学2年でしたが、午前中は授業があって、お昼に帰ってました。企業でもまだ週休2日制が定着しきっていなかった頃ではないでしょうか。

 

♪悪魔になりたい 悪魔になりたい 身も心も怪しく変わりたい のフレーズから、ここに出てくる主人公は普段真面目で自分を押し殺して生きている平凡な子なんだろう、と推測しますが、誰だって普段の抑圧感から解放されたいと思うだろうし、違う顔をした違う自分になりたい、という願望を表した曲、だと思います。

 

●歌詞

 

♪ブルーになれば優しくなる ペルシャ猫のように というフレーズが妙に気にかかりました。ペルシャ猫って当時かわいい猫の代表格みたいにイメージされていたと思いますが、そういう可愛い存在を「優しく見える」ものとして、こういう表現になったのでしょうか??

 

●絶妙な歌唱

 

その後の♪大きな鍵がかかっている あなたの胸を開くには~ の「ひらく」のあたりの歌い方が絶妙にツボです。爽快そのものの歌唱です。

単なる八重歯のチャーミングなアイドル、で括るには勿体ない、もっと「歌手」としてその歌を聞きたかったアイドルのひとりだと思いました。

最初の活動が3年半ほどで終わってしまい、その後戻って来てシングルもリリースしますが、オリコン圏内にも入らず暫く歌から離れて司会や女優の道を進む事となりますが、近年は歌のステージにも戻って来て、シングル曲をリリースしたり、往時と変わらぬ姿でキーも落とさず、ファンの夢と希望を残した形で?活動されているのが、また素晴らしいと思います。

 

明日から月曜日、私じゃない私に…なれない平日を生きて行きます(笑)

 

 

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今日の1曲 (104)ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO/麻倉未稀(1984)

もう7月も終わり、それにしてもめちゃくちゃ暑い…「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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音源がサイトに載っていませんでした…

You Tubeで適当に探せば見つかりますので割愛します(笑)

 

作詞/作曲:ジム・スタインマン、ディーン・ピッチフォード
      日本語詞:売野雅勇

発売:1984(昭和59)年11月5日(当時24歳)

売上:18.1万枚(オリコン最高19位)

1984(昭和59)年11月に発売された麻倉未稀さん11枚目のシングル曲です。

 

●ドラマ主題歌で人気

麻倉さんといえば、80年代前半~中盤を中心に、いわゆる「大映ドラマ」の主題歌、それも洋楽のカバー曲を立て続けにリリースして、人気を博していました。

 

デビュー曲は1981(昭和56)年の「ミスティ・トワイライト」という曲で、暫くは大映と無関係でしたが、1983(昭和58)年の6枚目「What a Feeling ~フラッシュダンスから大映タイアップ(「スチュワーデス物語」の主題歌)が始まりました。続いての大映タイアップがこの曲で、この間かなりの短いインターバルでシングルリリースをしています。

次が1985(昭和60)年の大映ドラマ「乳姉妹(ちきょうだい)」の主題歌「RUNAWAY」で、これが最後でした。

しかし、最も売れた曲は大映ではなくて「さよならを教えて」という大映ではないドラマの挿入歌であった8枚目「黄昏ダンシング」(最高12位。22.2位)(1983年)でした。

 

スクール・ウォーズとともに

 

この曲は80年代大映テレビの中でも特に人気を誇ったスクール・ウォーズの主題歌でした。先日亡くなられた葛城ユキさんとの競作で、他の作品でもいくつか彼女との競作があり、共に女性ロックシンガー的な立ち位置で売っていた頃でもありました。

 

放送当時も大人気を博したドラマと共に、その象徴的なものとしてこの楽曲も大変有名になりました。もっと売れてたんじゃ??と思っていましたが、最高19位で18.1万枚はちょっと意外でした。

 

そんな記録以上に記憶に残るドラマであり、楽曲であったと思います。

ドラマが何十年経っても、当時の出演者による同窓会的企画がTVで立ち上がったりして、主演の山下真司氏を中心として今も交流が絶えていない事が素晴らしく、人気も続いていて、またこれを歌っていた麻倉さんとも繋がっている、というのが更に素晴らしいと感じます。

 

●楽曲

 

前奏が、ドラマのイメージでどうしてもラガーマンたちが走るシーンを想像してしまいます。ドラマを見ていない人からしたら、この前奏を聴いてどんなことを想像するのか?いつ聴いても気になるところです。

 

出だしの歌詞♪愛は奇跡を信じる力よ が、いきなりメッセージ溢れてます。女性が男を近づける感じの歌詞がずーっと続いていきす。それがドラマのラガーマンたちにも通じるところかがありました。伊藤かずえさん演じる女性が放つ有名なセリフ「〇ン玉ついてんの?」は極端ですが、この歌詞を端的に表現すると、こう一喝して男たちを奮い立たせる、そんな感じがしました(笑)

 

後半の英語詞が並ぶ辺りは、ただただラガーマンたちがタックルにも負けずにスピーディーに突っ走っていくシーンが頭に浮かんできます。

 

楽曲とドラマがこんなにマッチする曲って、実はそんなに多くはないのではないか?特にそのドラマの為につくった曲ではない場合は特に思いますが、この曲はそういう意味では奇跡の曲と思います。

 

麻倉さん近年大病をされましたが、克服してこれからもパワフルに歌い続けていてほしいです。

 

今日の1曲 (103)刹那の夏/河合奈保子(1986)

コロナ感染者20万越えにビックリな「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平

発売:1986(昭和61)年7月24日(当時23歳)

売上:4.6万枚(オリコン最高10位)

1986(昭和61)年7月に発売された河合奈保子さん25枚目のシングル曲です。

 

本日、7月24日は河合奈保子さんの誕生日です。

そして、この曲が発売されたのも奈保子さん23歳の誕生日でした。

 

●最後の曲

 

といっても、彼女の最後のシングル曲ではありません。

 

作詞/売野雅勇氏、作曲/筒美京平氏と、主に20歳を越えてからの多くのシングル曲で組まれたコンビでしたが、この曲を最後に、以降は河合奈保子さん自身が作曲をするようになっていきます。

いわゆる「アーティスト」になる前の最後の曲で、アイドル的に活動していた最後、という事にもなりましょうか。

 

●最後の曲2

 

これは個人的な話ですが、河合奈保子さんのシングル曲で、最後に知った曲でした(当時)。これは1989(平成元)年時点での話ですが、オリコン初の1位を獲った「デビュー~Fly Me To Love」(1985年)までのシングルと、自作曲を始めた十六夜物語」(1987年)以降のシングルは知っていましたが、その「間」の曲を知らず、この「ベスト盤」を買って聴いて知った、という訳です。

 

その時のベスト盤がこれです。

「PURE GOLD」というもので1989年発売、デビュー曲の「大きな森の小さなお家」(1980年)から、他者提供曲のラストであるこの「刹那の夏」までが収録されている、ベストシングル盤です。

当時2枚組5,000円で買いましたが、そのタイトル通り金のディスクでした。

 

 

●売上

前年「デビュー~Fly Me To Love」で唯一のオリコン1位を獲った訳ですが、その後リリースの度に売上枚数が落ちていき、アイドルシーン的に変わっていってるという事もあり、ひと世代下が中心になっているという状況もあったと思います。この曲ではデビュー以来初めて5万枚を割り込み、正直上記のディスクを買うまではこの曲の存在をほぼ知りませんでした。

ラジオで初めて曲名を聞いた時も「セスナの夏?」とか思っていたぐらいでしたので。

 

●楽曲

淡々としたバラードで、23歳の大人の女性が歌う年齢相応の落ち着いた曲であり、逆に言えばアイドル的な売れ線の曲とは全くの逆を行くタイプの楽曲ともいえると思います。

おっとりした曲調の中に、静かに燃える女の情念が滲み上がってくるような曲で、恋した女は夏のケモノ…見ず知らずの相手と一夜に身を投じる…そんな夏の暴走する自分に「いけない子ね」と戒めてると思ったら、最後は「短い命より長いキスを誰か下さい」と、願望形で綴っていて、それまでの一夜の甘い出来事は、妄想だったのか??と思わせるフレーズでした。

 

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今日の1曲 (102)レイニー・ドライヴ/甲斐バンド(1986)

夏休みシーズンへ突入、そんな中コロナ感染者が過去最高、の「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:松尾清憲/作曲:松藤英男

発売:1986(昭和61)年3月1日(甲斐よしひろ当時32歳)

売上:1.6万枚(オリコン最高47位)

1986(昭和61)年3月に発売された甲斐バンド32枚目のシングル曲です。

 

●実質的なラストシングル

甲斐バンドの最初の解散(1986年)以前のラストシングルはこの曲の次の「メガロポリスノクターン」ですが、この曲は12インチでアルバム扱(後に解散直後にシングルレコードとしてリリース)であり、実質的なラストシングルといってもよい曲です。

 

●松藤プロジェクトの兄弟曲

先の「メガロポリス…」とは、同じ手法で作られ、元々のオリジナル曲でボーカルをとっているのは、この曲の作曲者でもあるドラムの松藤英男氏です。

初回解散前のラストアルバム「リピート&フェイド」(1986年3月5日発売)のわずか4日前に先行シングルカットされた曲ですが、ここでは甲斐よしひろ氏が歌っています。

メガロポリス…」も同様で、アルバムは松藤氏、シングルは甲斐氏が歌っています。

なぜオリジナルを松藤氏が歌っているかというと、ラストアルバムは4人のメンバーがそれぞれ個々のプロジェクトを組んで4曲ずつピックアップして、ギターの大森氏のインストゥルメンタルを除き、基本自らがボーカルを取るという計16曲の壮大なものとななり、ラストシングル2曲はいずれも松藤氏のプロジェクトで作られたものであるからです。

アルバムでは松藤氏が歌っている訳ですが、それをシングル版では甲斐氏のボーカルでリリースしたという事ですね。2曲とも同様の形でリリースされた、というのが甲斐バンドの最後のシングルでした。

またこの曲は珍しく、作詞がバンドメンバー外の人物というのも、個々のプロジェクトで作られた、という背景によるものです。

 

オリコン

最高47位で売上枚数は1.6万枚という記録でした。

アルバムはまあまあ売れていたものの、シングルセールスに関しては80年代に入ってから苦戦が続き、81年頃からヒット曲らしいものが出ず、唯一1983(昭和58)年の「シーズン」は9万枚余りを売上げましたが、これ以外は3、4万枚台が2万枚台となり…という形で下降線をたどっていってました。

 

●曲について

当初、この曲名だけで受けた印象はスピーディーなもの、でした。

ドライブではなく「ドライ」と表記しているところに疾走感のようなものを感じたものでした。

しかし蓋を開けて(聴いて)みると、ふんわりしたバラードそのものでした。

♪スピードを上げ 滑ってゆく 僕らの車ハイウェイ って歌詞だけ見ると、やはり疾走感あふれるロックだと思っていました。が、いつまでたってもテンポは上がらず、結局ゆっくりしたバラードのままでした。

それも個人的にアルバムの松藤氏バージョンで初めて聴いたので、余計にボーカルが丸みを帯びたふんわり感に満ち溢れたもの、のように思えました。

その後シングル版の甲斐氏バージョンを聴き、こちらはメロディーは同じながら、甲斐氏のどこか角のあるボーカルが感じられ、その違いはありましたが…

そのバラードも、サビで思い切り力を振り絞る箇所がなく、終始淡々とした歌唱でした。その辺りはラストで徹底していたのかもしれません。「メガロポリスノクターン」もタイトルだけだと、ロック的なものを想像しましたが、こちらもあまり変わらない淡々としたバラードで、甲斐バンドらしくない気もしましたが、最後は敢えてそうしていたのかもしれないなと。

 

サビの♪最後のRainy Drive とか♪抱きしめた過去に もう戻れない とか、バンド活動の終焉を思わせる歌詞があちこちに散りばめられている感もありました。

そんな甲斐バンドの最初の活動期を終える時のシングル曲でした。

 

 

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今日の1曲 (101)サザン・ウインド/中森明菜(1984)

3連休などあっという間すぎる「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:来生えつこ/作曲:玉置浩二

発売:1984(昭和59)年4月11日(当時18歳)

売上:54.4万枚(オリコン最高1位)

1984(昭和59)年4月に発売された中森明菜さん8枚目のシングル曲です。

 

●連続1位記録

彼女のシングル曲は3枚目「セカンド・ラブ」(最高1位。76.6万枚)で初めてオリコン1位を獲得してから、1990(平成2)年「水に挿した花」(最高1位。34.0万枚)まで、殆どの曲で1位を獲得していますが、間に数曲2位や3位に終わっているため、連続1位期間はそれほど長くなく、この曲の前の「北ウイング」(最高2位。61.4万枚)が2位どまりでした。

 

この為、この曲から1988(昭和63)年のTATTOO(最高1位。29.7万枚)までの15作連続1位の形になります。これでもかなり長いですが、間に2位3位を挟んでいなければ、もっと長期間連続1位になっているところでした。

 

●北から南

前作が「北ウイング」で、この次の曲がこの「サザン・ウインド」、南風ということでしょうか。

この時期はこのジャケットのようなポニーテールの印象が強かったですね。

 

●作家陣

作詞は来生えつこさん、明菜さんの作品を手掛けるのはこの時点で4作目、となると作曲は…、となりますが、弟の来生たかおさんではなく、当時「安全地帯」で「ワインレッドの心」が世に出始めたばかりの玉置浩二さんが務めています。

 

●夏ソング

4月に発売されていますが、今のこの夏時期に合った曲といえます。

歌詞の最初のフレーズから「海風に」とあったり、夏や暑いものを連想させるフレーズが沢山出てきます。夏の季節なのか、それとも常夏の国を取り上げたものか…熱帯的な雰囲気が前面から伝わってくる歌詞であり、内容でした。

 

●サビ

♪白いチェアーに脚を組んで~ の部分が印象的でした。

個人的に前作「北ウイング」は序盤の歌詞の記憶があって、サビのイメージがあんまりなく、逆にこのサザン・ウインドはサビの印象は強いのですが、出だしがなんだったっけ?といつもなっていました。

割と、尻上がりに盛り上がっていく感じで、最初の方は何を言ってるかよく分からなかった印象で、ボソボソ言ってたなという感覚でした。

 

サウンド

ハッキリしたサウンド?に乾いた感じのドラムが目立つメロディーだったなと感じていました。そこに♪ターラタラタラタタというリズムが歌った後に響くようになっていて、そこに女性コーラスの♪Fu~というのが被さってきて、、という感じでした。

サビ直前の♪ターータタラタッ!って感じのメロディーも効果的でした。ハイここからサビ歌ってください、的な感じで。

 

●伝説

これはこの曲の話ではありませんが、最近彼女の誕生日で伝説のライブが流される、というのがネット上で話題になっていましたが、肝心の本人とは連絡が取れていない状態とも聞きます。ここ数年公の場に姿を現しておらず、事実上の引退状態との説もあります。

ファンとしては「いったいどういう状態なのか?」気になっているだろうと思いますが、このまま伝説になってしまうのか、また不死鳥の如く甦るのか、今後の動向が依然として注目される人のひとりだと思います。

 

 

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今日の1曲 (100)「走れコウタロー」/ソルティー・シュガー(1970)

遂に記念すべき100回目を迎えた「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:池田謙吉/作曲:池田謙吉、前田信夫

発売:1970(昭和45)年7月5日(山本コウタロー当時21歳)

売上:67.5万枚(オリコン最高1位)

1970(昭和45)年7月発売のソルティー・シュガー2枚目のシングル曲です。

 

記念すべき100回目にこの曲を取り上げたのは、先日山本コウタローさんが73歳で亡くなられていたと聞いた為です。

 

●デビューから2枚目まで

ソルティー・シュガーは1969(昭和44)年に大学生4人グループとして「ああ大学生」という曲でデビューしましたが、いくらも売れなかったそうです。

その次がこの曲でしたが、当初彼らは次の曲が出せるとは思っていなかったようで、MCか面白いなどで大学の学園祭などに呼ばれるようになり、面白い曲を探していたところ、この曲に行き着いたそうです。

実際は違う名前の馬のタイトルだったのが、メンバーの山本コウタロー(厚太郎)氏が遅刻を重ね、そのはやし立てのつもりでコウタローへ変更された経緯があるといいます。

 

●グループ名の由来

ソルティー・シュガーという名前、元々メンバーに佐藤敏夫という人物がいて、彼が抜ける事になり、何か残そうという事になり、グループ名にその名前をという事で、佐藤敏夫(=砂糖と塩)ということから、ソルティー・シュガーになったといいます。

 

●リリース時は大ピンチ

この曲の作詞および、作曲者のひとりでもある「池田謙吉」氏はグループのメンバーですが、なんとこの曲のリリース直前に21歳の若さで突然死してしまいます。

グループで核となるメンバーの急死に、大ピンチに陥りましたが、先の佐藤敏夫氏が1年限りという事で呼び戻されたといいます。その1年後1971(昭和46)年にグループ自体が解散しています。

 

●楽曲について

いきなり競馬のスタートを思わせるシーンの音から入る形で、当時としては画期的ともいうべき斬新な手法で始まる曲でした。

とにかく♪走れ走れコウタロー のフレーズが何度も脳に働きかける?分かり易い曲ですが、間奏にあたる部分には、当時の東京都知事の模した声明と、競馬実況中継を模した早口の喋りが展開され、時間は短いながらも歌詞の大部分を占めています。

 

●どこでも聞く曲

発売後50年以上経った今でも、そこらのTVやら何やら、そこかしこで流れている楽曲であり、走る系、競馬関係、色々な事柄にBGM的に使われ続けています。当時はかなりウケを狙ったのか何重ものパロディが織り交ぜられているといいますが、ここまで後世にまで、歌い継がれるというよりは流れ続ける曲になるとは、当時の関係者は思ってなかったのではないでしょうか。

 

こんなコミックソングをアコギ速弾きで歌っていた山本コウタローさんのご冥福をお祈り致します。

 

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今日の1曲 (99)誘惑の熱い砂/高見知佳(1980)

7月も半ばまで来てしまった「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:竜 真知子/作曲:馬飼野康二

発売:1980(昭和55)年7月1日(当時17歳)

売上:不明(オリコンチャートインなし)

1980(昭和55)年7月に発売された高見知佳さん7枚目のシングル曲です。


前々記事、夏のヒロインと同じ作家陣で、そして同じ夏の曲です。

 

夏の曲をシリーズ的に取り上げるという事で、自分のiーPodを聴き漁っていたところに流れてきましたが、なんといっても最近驚いたのが、この高見知佳さんが今回7/10(日)の参議院議員選挙に出馬していた事です。

翌朝になって初めて知りましたが、残念ながら落選していたようですが「出馬してたの?」という感じで。

 

オリコンチャート的に

高見知佳さんは1978(昭和53)年に「シンデレラ」という曲でデビューしています。当時はちょっとボーイッシュな感じで、活発さも感じられるキャラで、TVの露出的には結構見かけた方だと思います、子ども心に記憶はあるな、という感じで。

ただレコード売上に関しては、オリコンチャートイン曲がなかなか見つからず、アイドル期は芳しいとはいえなかったと思います。それでもこの曲が7枚目であったり、1982(昭和57)年まで10代のうちに実に13枚のシングル曲をリリースしています。チャート的に殆ど実績なしにも関わらず、タレント的な人気があったせいか、コンスタントに曲はリリースされ、また歌唱力もあるといえるアイドル歌手だったと思います。

 

しかし1曲だけ、世間的にも代表曲と呼べる曲が得られました。1984(昭和59)年発売の15枚目シングル「くちびるヌード」で、これがオリコン最高16位、10.4万枚を売上げたヒット曲になりました。既にアイドル歌手の域から脱却しつつある時期で、同じように同じ時期にヒット曲の生まれた香坂みゆきさんと同じような現象となりました。(歌がうまくて、アイドル期にこれというヒットがなく、脱却時期に1曲だけスマッシュヒットを得たという共通点)

 

●世代的に

高見知佳さんは昭和37年7月生まれで、学年的に松田聖子さんはひとつ上で、同じコロムビアレコードの後輩・河合奈保子さんはひとつ下になります。それこそ歌のキャリア的に同じように辿った香坂みゆきさんと同学年になります。他では川崎麻世さんなども同学年になります。

デビューは1978年11月、16歳の時で、石川ひとみさんなどと同じ年度のデビューですが、商業的に大ヒットを飛ばしたメンバーの少ない、不作といわれる年でした。

 

●楽曲

ここからが本論、のはずですが、いつもながら前置きが長すぎてすみません。

まずジャケットは、見るからに「夏」という感じで、18歳を直前に控えた少女のちょっとセクシーな雰囲気が印象的なものでした。

ブラス系の楽器が壮大にうねって始まるイントロから、ちょっとハイトーンなボーカルで始まる歌が実に心地良いものがあり、この高音が出るところに、一定の歌唱力を堪能できる、と思います。

結構ボーカㇽもうねりを見せていて、高音の伸びる部分は思い切り伸びやかに、抑える部分は押さえて、メロディーラインにのるところは忠実にのって、という感じで展開されていく(言葉で表現するの難しいですが)のが、聴き心地の良いものがあります。

実はこの曲、個人的にレコードを持っていますが、終奏の部分はレコードで聴くと、独特の歪みが聞こえ(キッチリと真ん中に置いてないから?)、これがまたレコードの味ともいうべき音で、敢えてレコードで聴くのが好きな楽曲のひとつです。

 

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