4月も中旬まできてしまって、時の流れの速さについて行けない「今日の1曲」。
今日はこの曲!
↓音源はコチラ↓
↓近年のライブ映像もありました!
作詞:有馬三恵子/作曲:加瀬邦彦
発売:1972(昭和47)年7月21日 (当時17歳)
売上:7.7万枚(オリコン最高31位)
1972(昭和47)年7月に発売された伊丹幸雄さん2枚目のシングル曲です。
●新御三家候補…
今回取り上げたのは伊丹幸雄さん。
1955(昭和30)年生まれで、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみといった後に「新御三家」と呼ばれるメンバーと同世代(学年的に彼らよりひとつ上ですが)で、それこそ新御三家に入るかどうかぐらい、初期は人気アイドルだったそうです。
デビュー曲は同じ1972(昭和47)年4月21日の「青い麦」でオリコン最高22位、売上9.5万枚と上出来のスタートをあり、野口五郎さんは前年デビューで、西城秀樹さんはこの前月である3月にデビューしたばかりで、郷ひろみさんはまだ歌手デビューしておらず、五郎、秀樹に続くアイドルと目されていたのでしょうか?当時をリアルで知らないのですが…。
●2曲目、その後…
この曲は、そのデビューの3ヶ月後にリリースされた2ndシングルで、デビュー曲が順調だったこともあってか、最高31位、7.7万枚と少し落ちたものの、まだまだ堅調な推移をしていたという感じ、この時でもまだ郷さんはデビューしてなかった頃でした。
ちなみにこの発売日と同じ日に国民的人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」がスタートしています。
その後何曲かはオリコンチャートに順位を記録するものの、売上推移が右肩下がりになり、新御三家は遠のき、1974(昭和49)年頃には改名して復活を期すも不発に終わったといいます。その後、本名名義でグループに参加して歌は続けていたようです。でも個人的にこの時代の彼の事は知りませんでした。
●再び世に出た時
自分が彼の存在を知ったのは1982(昭和57)年頃のことでした。
「オレたちひょうきん族」で、ビートたけしさんの「タケちゃんマン」に助けを求めてほら貝を吹く青年「サチオくん」がそれでした。
ストーリー中で窮地に陥り、「こんな時、タケちゃんマンがいてくれたらな…」とつぶやくそのフレーズが大変有名になり、一躍彼の名も再び有名になりました。
その時の記憶では、昔アイドルだった人で、久々にテレビに出て再び人気になった、と聞いた覚えがあります。この番組では天地真理さんなども同様の起用をされていましたね。
タケちゃんマンの最初のフォーマットは、このサチオくんを助ける話でしたよね。
その後また表舞台からは距離を置く事になりますが、現在も歌手活動を続けていて、ステージに立ってこの曲を含めて、往年のナンバーを披露しています。
●作家陣
作詞は有馬三恵子さんで、南沙織さんの楽曲の詞を多く手掛けた方です。詞が少々メルヘンチックな感じがするのは彼女の手によるからかな?と感じたりもしました。
作曲は加瀬邦彦さんで、かつてグループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のメンバーで、自身のバンドの楽曲を数多く作曲し、またその後も同じGS仲間の沢田研二さんの楽曲を多く作曲、またアグネス・チャンの楽曲も多く作曲していました。
●楽曲
この時代にしては比較的長めの前奏で、徐々に盛り上げていく感じで、最高潮に達したところで♪こんにーちわ(こんにーちわ) ♪だいすーきさ(だいすーきさ)と、( )内女性コーラスが輪唱の如く入ってくるのがある意味の萌えポイントかもしれません。
そして甘ったるいサチオ節が淡々と続くと思ったら、サビに入るところで♪ヘイ!のシャウトでガツンと気合を入れてくれます。一気にサビに入るためのアクセントとして飛び道具的に使われた感がありますが、とにかくここがまた萌えポイントだと思います。これが無かったら淡々と甘い曲に終わったかもしれない、と思うとこのヘイ!の果たす役割は素晴らしいと思いますし、個人的にもこれが聞きたくてこの曲を選ぶ時があるくらいです(笑)
そして最後は♪二人の夏の 思い出を残したい を繰り返して終わっていきます。夏真っ盛りの発売で、実にサマーソングな訳ですね。
- 価格: 1555 円
- 楽天で詳細を見る