今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (211)男の勲章/嶋大輔(1982)

遂にもうすぐ9月も終わる「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞/作曲:Johnny

発売:1982(昭和57)年4月28日 (当時17歳)

売上:37.7万枚(オリコン最高3位) ※1982年度年間25位

1982(昭和57)年4月に発売された嶋大輔さん2枚目のシングル曲です。

 

●銀蝿一家

後に杉本哲太さんなどの紅麗威甦(グリース)や岩井小百合さんなどが現れますが、当時ロックの最前線にいた横浜銀蝿の弟分的な「銀蝿一家」の先駆的存在として注目を浴びた嶋大輔さんは、その横浜銀蝿のコンサートを見に来ていたところを事務所からスカウトされたといいます。

 

●銀蝿プロデュース

そんな銀蝿の弟分となった嶋さんは、横浜銀蝿「ツッパリHigh School Rock 'n Roll(試験編)」(1981.10.7発売。最高6位。27.0万枚)=銀蝿が世に出た作品は同曲・登校編)の歌詞に登場し、名義も横浜銀蝿+嶋大輔」となっています。

その後、1982(昭和57)年に入り本格的にソロで売り出されることになり、ソロデビュー曲「Sexy気分な夜だから」(1982.2.10発売。最高7位。16.2万枚)は横浜銀蝿のボーカルである翔さんの手によりつくられました。

 

これに続いての2作目が本作で、こちらは同じく銀蝿メンバーであるJohnnyさんの手による楽曲です。

ジャケットにありますが、当時放送されていたドラマ「天まで上がれ!」の主題歌に起用され、これは当時人気だった石立鉄男さん主演のホームドラマで、嶋さん自身も出演していました。

サウンド的には当時の銀蝿のものの延長上というか派生というかそんな感じで、歌詞的にはJohnnyさんなのコレ?という感があります。

当時の銀蝿メンバーで唯一、髭を生やしていなかったメンバー随一のスマート感溢れた彼の意外と泥くさい、男くさい(タイトルがまさにそのものですが…)ものになっています。

 

●タイトル

なんといってもまずタイトルが印象的すぎます。

 

男の勲章

 

インパクトがありすぎでした。

当時小6でしたが、言葉遊びを面白がる年頃なので、それはもうこの曲なんてまさにその対象でした。男のアレ(優勝の事ではない)だといってキャッキャキャッキャしていたものです。

当時、この少し前に某CMにあった「男には男の武器がある」というフレーズがはやって、やはり周囲が騒がしくなったものでしたが、こういう単純かつインパクトのあるフレーズは「強い」と感じます。いわゆるパワーワードですね。

そしてこの曲は嶋大輔さんにとって最大のヒット曲(37.7万枚)にもなり、代名詞のようにもなりました。しかし17歳でこの貫禄はすごいですね。

オリコンチャート的には最高3位でしたが、売上枚数は自己ベストであり、チャート的には次作「暗闇をぶっとばせ!!」(1982.8.11発売)が唯一のオリコン1位を獲得していますが、売上枚数は28.0万枚と少し落ちる事となります。

 

●ツッパリ

タイトルもですが、歌い出しもまたインパクトのあるものでした。

正直、これしか知らない、これだけは知ってる、という方も少なくないと思います。

なにしろ

♪つっぱることが男の~

ですから。

当時は「ツッパリ」という言葉が、流行りであり、カッコいいものとされていた、と感じていましたが、横浜銀蝿自身が流行らせたこの言葉を、弟分の曲の前面に持ってきたな、と感じます。

ツッパリ=不良、リーゼントにサングラス、という横浜銀蝿そのもののイメージを持つ人も少なからずだったと思います。いわゆる当時でいう「トッポい」感じですね。

当時出てきだした「おにぎりQ」のCMでも、♪ヒッパレ~ヒッパレ~とか歌われながら、サングラスにリーゼントの青年が出てきて、そこのところに「ツッパレ~」と書かれていて、そのくらい世間的にツッパリというものがそういうイメージで浸透していたのだなと感じました。

 

そして

♪たった一つの勲章 だってこの胸に信じて生きてきた

とつづきます。

つっぱる事が男の勲章、という訳です。

感化された人々は、これはもう「つっぱるしかない!」と思ったのではないかな、と思います。で、それをマインドよりもカッコ(外見)から入っていくような、そんな時代だったようにも思います。

 

●たたき上げの曲

世間の壁とか、歯を食いしばりとか、がんばってきた、とか世の中のシステムに抗って生きる男の泥くささが前面に出た歌詞になっています。

横浜銀蝿のメンバー自体は大卒揃いの実はエリート集団で、そんな彼らの「創作」という感じの楽曲群でしたが、嶋さんはそういう感じではなかったようで、16~17くらいでスカウトされて飛び込んできた、そんなたたき上げの男の生きざまが描かれたような歌詞です。

これを作ったのがエリートのJohnnyさんであり、彼は後にレコード会社に就職し、プロデューサーや社長にまでなり、音楽界をけん引する存在になったのがまた面白いと感じます。

 

それにしてもこのジャケットを見ていて感じたのが、それまで集団でドカンのズボンを履いたり、不良然とした格好を前面に出して「ピン」で映った歌手ってあまりいなかったのではないか、という点です。

かつてキャロルやダウンタウン・ブギウギバンド、クールスなどロックを前面に出したバンドはそんなスタイルで「集団」としてジャケットを飾っていましたが、ピンはなかなかいなくて、ちょっと方向が違うものの舘ひろしさんなどは割と不良然とした雰囲気で映っていたりしましたが、もう少し低年齢の10代で「ピンのツッパリ」然としたスタイルは嶋大輔さんが元祖のように思います。

 

●後の展開

リリースから20年以上経った2003(平成15)年に同曲をセルフカバーし、再度注目を浴びました。

2005(平成17)年には続編的は「大人の勲章」という楽曲をやはりJohnnyさんの作詞作曲でリリースし、この路線が彼のキャラとして完全に定着しました。

 

ヒット曲が出ると、そこから離れたがる傾向が歌手にはありますが、一周回ってくると大抵原点回帰するものだな、と彼の足跡を辿っていても感じました。

 

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