10月になって朝がめっきり寒くすらなった「今日の1曲」。
今日はこの曲!
作詞/作曲:Johnny
発売:1981(昭和56)年11月1日 (当時23歳)
売上:50.2万枚(オリコン最高3位) ※1982年度年間16位
1981(昭和56)年11月、横浜銀蝿のメンバーである「Johnny」さんが初めてソロ名義でリリースしたシングル曲です。
前記事が嶋大輔さんの「男の勲章」でしたが、これを作詞作曲したのはJohnnyさんなんですよね。偶々自分のi-Podでシャッフル再生してから、次の曲がこれで、そのまま記事にしています。すごい繋がり…。
●Johnnyのソロ
「不良」「ツッパリ」の象徴として革ジャンにリーゼント、ドカン(ズボン)の出で立ちで現れた横浜銀蝿は、瞬く間に若者の人気を集め、当時のロックのトップを走るバンドといっても過言ではない状況でした。
彼らのほとんどは髭を生やしたコワモテでしたが、ひとりだけ髭を生やしていない「甘い」系がJohnnyさんで、若い男性人気の集まった銀蝿にあって、女性人気を集めていたのが彼でした。
そんなJohnnyが満を持して、というほどの年月は経っていませんが、ソロでリリースしたシングルです。待望論はあったんだろうな、というのは当時から何となく感じていました。
●50万ヒット!
この曲はオリコン最高3位を記録し、50.2万枚の売上げを記録し、1982年度の年間16位という大ヒット曲になりました。
グループ活動をしている最中にソロ名義で出るシングルってあんまり売れないイメージがありますが、この曲は大ヒットしました。
この年はじめにリリースされ、横浜銀蝿の出世作になった「ツッパリHigh School Rock 'n Roll(登校編)」が同じくオリコン最高3位で、56.6万枚のヒットを飛ばし、これに匹敵する大ヒットであり、銀蝿本体系列すべて含めて総合2位のビッグヒットを叩き出しました。
●継続出演
当時の歌謡ランキング番組として君臨していた「ザ・ベストテン」では、この曲が初めて10位以内にランクインする前の週まで横浜銀蝿として「ツッパリHigh School Rock 'n Roll(試験編)」がランクインしていましたが、翌週には10位圏外となり、代わってこの曲がランクインしたため、Johnnyさんだけが同番組に継続出演となり、銀蝿本体とJohnnyさんのソロで2曲同時にランクインは残念ながら実現しませんでした。
●カモンカモン
とにかく
♪おいでカモンカモンカモン
と何回も歌ってるイメージの強い曲で、めっちゃカモンカモン言ってます(笑) コーラスまで♪カモーン カモーン カモーンと。
最後なんてカモンカモンしか言ってないんじゃないか、ってぐらいです。
●ドラマ主題歌
自身を含めた横浜銀蝿のメンバーや、後に銀蝿一家として出てくる嶋大輔さんや杉本哲太さんなども出演していたTBSドラマ「茜さんのお弁当」という作品の主題歌に起用されました。
当初このドラマは、すごく地味とされ期待もされなかったそうですが、人気作品となり、また準主役で出ていた川谷拓三さんはこの直後、「3年B組貫八先生」で主演に抜擢されました。
●原曲名
「ジェームス・ディーンのように」ってすごくカッコいいタイトルですが、当時これが何んの事か分かりませんでした。若い命を燃やしたアメリカの俳優、と知ったのはだいぶ後の事でした。何せ当時小5だったので…。日本でいう赤木圭一郎さんのような感じなのでしょうか。
そんなカッコいいタイトルは、実は変更されたものだそうで、元は「トラボルタのように」というウソでしょ?って感じのタイトルだったそうです。
トラボルタもカッコいいし、なんといっても「サタデーナイト・フィーバー」のあのポーズキメてる方なので、当時の憧れの的ではありますが、タイトルの語呂的にガクッと来るような、そんな感じがします。
結局は、ジェームス・ディーンのように、の方がカッコいいな、となって今に至るとの事ですが。
●突然のジミー
ちなみに歌詞に
♪ジミーのように~
と出てきますが、なんでいきなりここでジミーが出てくるん?誰それ??と思ったものでしたが、これこそがジェームス・ディーンの愛称であり、この曲の歌詞中唯一彼を表す名詞として出てくるフレーズなんですね。
タイトルの割に歌詞中に「ジェームス・ディーン」の文字は一切出てきません。ここに出てくる♪ジミーのように~ がそのままジェームス・ディーンのように、だった訳です。歴史の勉強、しないと分からないものですね、こういうとこは。
そんなジミーのように、の続きは
♪しらけていたって時は過ぎるし
とネガティブに歌われていて、そこからの
♪飛ばすぜ ハイウェイ オールナイトのステージ!
と一転して活気づいていきます。
ジミーに関するネガティブな描写は、ジェームス・ディーンという俳優が自らの生い立ちのごとく、孤独や苦悩に満ちた感情をスクリーン越しに表現していたから、ではないかと思います。
「ジェームス・ディーンのように」というタイトルから、彼のようになりたい的な曲かと思っていましたが、彼に対する描写は導入部だけで、そこから我が道を突っ走るぜ、的な流れと感じました。
当初は「トラボルタのように」だったというので、それだとまた歌詞が違うものになっていたんでしょうかね?(笑)
●銀蝿よりも軽快なロック
横浜銀蝿本体から派生した最初がこのJohnnyさんのソロであり、その後嶋大輔さんやらになっていく訳ですが、彼らの楽曲は総じてスピーディーで軽快なロックという感じです。
間奏は結構ビートとエレキが効いていますが、ボーカルの部分では銀蝿は翔さんの超絶ダミ声が強烈であり、銀蝿とこれ以外とは一線を画した感がありました。
Johnnyさんのソロシングルは、この後もいくつかリリースされますが、次の「$百萬Baby」(ひゃくまんどる・べいびー)ではオリコン最高1位を記録します。
その後のJohnnyさんは横浜銀蝿解散後はレコード会社に就職しプロデューサーなど裏方を務め、近年の横浜銀蝿復活時も、本業の為限定的な参加となり、レコード会社の社長にまで上り詰めました。その後、銀蝿のリーダー・嵐さんの死去などあり、レコード会社の社長を辞職する形で、銀蝿の表舞台に戻ってきて現在に至ります。
全員が60歳以上となった銀蝿ですが、まだ尚盛んな情熱が彼らを動かしているといったところです。