今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (183)ハイウェイ・ドライブ/ファニー・カンパニー(1973)

5月ゴールデンウィークも明け、辛い現実に引き戻された「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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↓動画はコチラ↓ 桑名正博さんが亡くなられた年の貴重な再結成ライブ


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作詞/作曲:桑名正博

発売:1973(昭和48)年 9月頃? (桑名正博:当時20歳)

売上:不明(オリコン圏外)

1973(昭和48)年に発売されたファニー・カンパニーの2枚目にしてラストシングルです。

発売日については、1973年までは分かっていますが、時期は9月頃というだけで判然としませんでした。

 

●ファニー・カンパニー

桑名正博さんが10代の頃属していたバンド(元々は他のメンバーが結成したもの)で、当時まだまだマイナーだった日本ロック界において、矢沢永吉ジョニー大倉という面々を擁した「キャロル」が東の横綱ならば、桑名さんを擁したファニカンことファニー・カンパニーは西の横綱といわれる存在でした。

当時の話として、キャロルは矢沢氏のように「金がほしい。ビッグに成りたい。」とギラギラしていたのに対して、ファニカンは金持ちのボンボンが道楽でやっていた、などとされ、キャロルのメンバーがやっと買った車をファニカンメンバーの高級車が追い抜いていったという話も伝わります。

という事でファニー・カンパニーは1972(昭和47)年に「スウィート・ホーム大阪」という曲でデビューしました。コテコテの大阪弁丸出しのナンバーで、とても19歳だったとは思えない桑名さんがだみ声でロックのリズムに乗せて歌いまくっていました。

 

●2枚目シングル

「スウィート・ホーム大阪」でデビューしたファニカンは翌1973(昭和48)年に1stアルバム「ファニー・カンパニー」をリリースし、同年11月には2ndアルバム「ファニー・ファーム」をリリースしますが、本作はこの2ndアルバムの先行シングルと思われます。(2ndアルバムに収録されており、ここでこの曲を知ることができました)

しかしファニー・カンパニーは1974(昭和49)年にあっさりと解散し、これがラストシングルにもなってしまいました。解散についてあまり書かれているものが見られませんが、桑名氏の「20歳の思い出として、さっさと解散しよう」という気持ちがあったといわれています。

 

●金持ちのロック?

歌詞に

🎵俺が今度 買った車はオレンジ色で…

とありますが、貧乏人の憧れでついた歌詞ではなく、本当の金持ちがある程度現実味をもって作った詞なのかな、と感じます。

そして

🎵雷さんも顔負けさ 俺のハンドルさばき~

ともあり、高級車を運転し慣れてるぜという雰囲気を感じさせます、金持ちバンドだった彼らが歌うと余計に。

ロックンロールというのは、その定義として権威への抵抗とか、下から上を見上げてバカヤローと言ってそうなものがあるかと思いますが、彼らの曲にそういうものは感じられません。

しかし音だけは紛れもなく当時まだまだ市民権が得られるにはほど遠いロックの音そのものでした。「金持ちのロック」という言葉として矛盾に満ちたものを彼らはロック黎明期から体現していたんだと思います。

インテリなロッカーなんかもいて、宇崎竜童さんも高学歴(明大卒)でその類と思いますし、横浜銀蝿の面々も実はほとんどが大卒とか、見た目底辺っぽさを感じさせても、商売でそのようにしてる人たちも確実にいるんだな、という事を感じさせられます。

 

●隣の村までひとっ走り

🎵隣の村までひとっ走り ハイウェイドライブ

というフレーズがキーワードで、何度も多用されています。

高級車でちょっと隣の村までひとっ走り見せつけてくるわ、って感じが金持ちの余裕を感じさせます。

ロックの音といっても、エレキがビンビンに効いてるとかではなくて、割にライトな感じで響いてて、前作アルバムはエレキの聴いた楽曲が多く見られましたが、この時のものはその角が少し取れたようにも思えました。

 

当時19歳や20歳で、青春の思い出づくりでというような感覚でやっていたといわれながら、桑名正博さんは59歳で急逝するまで、社長業などやりながらも最後までロックンローラーだったのは見事でした。

後にソロで大ヒットを飛ばしましたが、この当時はまだどうなるとも分からない状態、だからこそ自由な作風の楽曲が生まれたのかな、とも感じました。

 

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