6月も後半に入りいよいよ2023年も前半が終わりゆく「今日の1曲」。
今日はこの曲!
作詞:三浦百恵/作曲:沢田研二
発売:1982(昭和57)年6月5日 (当時26歳)
売上:35.4万枚(オリコン最高3位)
1982(昭和57)年6月に発売されたアン・ルイスさん20枚目のシングル曲です。
●復帰第一弾
桑名正博さんと結婚して生まれた長男・美勇士氏を出産した翌年に復帰第1作として約2年ぶりにリリースされたシングル曲で、本格的にロックの路線へ大きく舵を取った曲といえます。
アン・ルイスさんはデビューがかなり早く、1971(昭和46)年2月25日の「白い週末」(最高77位。2.1万枚)という曲で14歳の時にデビューしていますが、以来長らくハーフならではの英語交じりの歌謡路線で曲をリリースしてきました。
中でも1974(昭和49)年の6枚目「グッド・バイ・マイ・ラブ」(最高14位。23.8万枚)がヒットし、その後もムード歌謡系の路線でリリースを続けていましたが、1978(昭和53)年の14枚目「女はそれを我慢できない」(最高12位。25.4万枚)から、ポップスそれもロック寄りへガラリとシフトチェンジしていきましたが、1980年代に入り結婚→出産の為、活動休止していました。本作はその活動再開第一弾として、26歳の誕生日当日にリリースされ、それまで以上に明らかに、ハッキリとした形での「ロック」の楽曲でした。
●豪華作家陣
この曲はなんといっても作家陣の豪華さが話題になりました。
作詞は三浦百恵さん!あの山口百恵さんが伝説の引退後に行なった数少ない芸能関連の仕事のひとつで、現役当時仲が良かったというアン・ルイスさんへはこの曲はじめ計2曲に詞を提供しており、これは本当に「特別」であったようです。
そして作曲は沢田研二さん!ジュリーです。ジュリーはアン・ルイスさんの事務所の先輩であり、そしてアン・ルイスさんがジュリーの大ファンでもあるということで実現したそうです。
●最大のヒット曲
アン・ルイスさんの楽曲で売上35.4万枚と最高記録をマークし30万枚以上売れたのがこの曲のみならば、オリコン最高は3位、オリコンTOP10入りを果たしたのは意外にもこの曲のみです。「ザ・ベストテン」でも10位以内にランキングされて出演したのもこの曲のみでした。
「アン・ルイスの最も売れた曲」な訳です。
●聞き違い箇所
サビになるのでしょうか、♪Ah oui ma saison~の部分、♪Ah oui La saison~だと今これを書くまでずっと思ってました。
曲名が「ラ・セゾン」だからそのまんまだろうと信じて疑いもしませんでしたが、まさかの「マ・セゾン」だったとは…という感じでした。
●歌詞
この時百恵さん23歳ですが、なんていうかすごくワンナイトスタンド的な感じの夜に溺れる男と女…そんな世界観でかつてのアイドルと対極の雰囲気がありました。結婚を経たからこそ書けたのかもしれませんが…。
♪Ah ouiの部分も百恵さんなのでしょうか。すごくアン・ルイスさんっぽさがあって、実際は詞になくてアン・ルイスさんがシャウト的に加工したのかとすら感じるほどで、それくらいこの「アウィ~」のフレーズは彼女にピッタリ合ってました。
♪ひと夜人世の 波にのまれ… の部分は聞く度「√2」を連想してしまいます(笑)
●サウンド
急激なロック化で、その後の方向性を完全に決定づけた、そんな感じがします。
それまでもロック化してて、サウンドは急変化していきながらも、いでたちがまだそこまでではなく、それまでの歌謡路線を引きずっていた感もありましたが、ここですべて脱ぎ捨てて?振り切った感がありましたね。
この曲でアン・ルイスさんがジュリーにつけた注文は「(ジュリーの曲である)ス・ト・リ・ッ・パーみたいな曲にしてほしい」というものだそうで、この曲の歌詞に♪すべてを脱ぎ捨てたら おいでというフレーズがありましたが、詞ではなく曲の形でなんらかの反映がなされたのかな、と想像しました。ちなみにこの記事をあげた6月25日はジュリー75歳の誕生日です。
当時は、それ以前からアン・ルイスさんの名前は知っていましたが、顔と名前が一致しない状態で、この曲でテレビで見かけるようになってから、その存在がハッキリ分かるようになりました。
その後アン・ルイスさんは'80~'90年代にかけて独自の路線で女性ロックシンガーの道を突き進み、カラオケでいまだに多くの人に歌われる「あゝ無情」(1986年発売。最高21位。7.0万枚)などヒット曲を飛ばしましたが、2000年ころの数年間は病気により活動を休止し、その後復帰するも元夫の桑名正博さんの死後に正式に芸能界を引退したといいます。