今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (121)君をのせて/沢田研二(1971)

3連休なんてあっという間すぎる「今日の1曲」。

今日はこの曲!

www.uta-net.com

↓動画はコチラ↓

www.uta-net.com

作詞:岩谷時子/作曲:宮川泰

発売:1971(昭和46)年11月1日 (当時23歳)

売上:10.3万枚(オリコン最高23位)

1971(昭和46)年11月に発売された沢田研二さん(以後「ジュリー」と表記)のデビューシングルです。

そう、ジュリーはこの曲でデビューしたのです。

 

●MY BOAT FOR YOU

と横に書いてありますが、これは副題だそうです。

決して、洋学のカバーではなく、作詞はもちろんですが、作曲は宮川泰さんによるものです。

 

●ソロデビュー曲

ジュリーといえばそれまではやはりザ・タイガースでアイドル的な大人気を得ていました。

そのタイガースは、この年の初めに解散コンサートが行われました。

その後ジュリーは、ショーンこと萩原健一氏とのツインボーカルで人気を博し、タイガースと、そのライバル的関係にあったテンプターズのそれぞれ一部メンバーの集結したPYG!」というバンドを組んで活動していきます。

 

PYG!の活動との関係

PYG!は「ジュリーとショーケンというGS2大アイドル的スターのツインボーカルという夢のような組み合わせのスーパーバンドのはずでしたが、本格的なロックバンドを目指す触れ込みで、ロックフェスなどに打って出ては罵声を浴びていたといいます。

当時はロックという音楽は、今ほど市民権を得られていないもので、またロック愛好家からはロックの定義的なものを求められている面が強く、およそロックらしくない彼らの存在は、平たく言えば「こんなのロックじゃない」という具合に叩かれたといいます。

またジュリーのファンとショーケンファンがぶつかり合った、というのがまた悪い面に作用してしまいました。そんな事もあってか活動が中止半端になったようで、ジュリーがソロデビューしたこの11月1日、同じ日に萩原健一PYG名義で「戻らない日々」という曲がシングルリリースされています。

という事は、PYGの活動と並行しながらのソロデビューとなった訳ですが、このスーパーバンドは結局は自然消滅で終わってしまうほど、途中からの活動は中途半端なものとなっていました。

 

●タイガースのジュリーから「沢田研二」へ

グループサウンズのタイガースの看板的存在から、バンドを経ながらも「ソロ」となった頃のジュリー、リアルではどんな感じかは体感していないので分かりませんが、このデビュー曲はオリコン最高23位、10.3万枚の売上でした。

次の「許されない愛」からTOP10入りのヒットが続いていきますが、この曲ではまだソロとして確立されていなかった事もあってか、それほどの売行きではなく、なんとか10万を越えたという感じでした。

ライバル的関係の萩原健一氏が歌を続けながらも俳優へシフトしていくのに対して、ジュリーはあくまで歌手を主軸に活動を続け、30歳を過ぎてもアイドル的な立ち位置と独特の奇抜なコスチュームで世を席捲し続けてきました。

この当時は、どんな風にソロとして活動していくか、とにかくまずこんな感じで…という形で出た曲かと思いますが、全体的に柔らかな感じのバラードになっています。

次の曲から悲恋路線的な感じになり、ソロのジュリーが確立されていきます。

 

 

にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ
にほんブログ村