今日の1曲、少し間隔があいてしまいましたが第6回はこの曲です。
発売:1982年10月
売上:1.9万枚(オリコン最高61位)
世良公則さんのソロデビューシングル曲です。
「世良公則&ツイスト」として1977年のデビュー曲「あんたのバラード」がオリコン最高6位のヒットとなり、原田真二、Charと共に「ロック御三家」として華々しく現れ、中でも特に積極的にTV出演をして「ロックの市民権を獲得させた」バンドのひとつとしてもてはやされ、その後も「宿無し」「銃爪(ひきがね)」「燃えろいい女」など立て続けにヒットを飛ばし時代の寵児となったロックバンド、そのボーカルを務めていたのが誰あろう世良公則さんでした(リーダーは「ふとがね金太」さんでした)。
しかしいつしか…80年代に入るとそれまでの快進撃が急降下し、ツイストの人気は一気に落ちてシングルを出すごとにオリコン最高位が落ちていくようになり、81年暮れに解散する事となります。
26歳で解散後は俳優業に本格的に進出しながら、ソロ歌手として活動をスタートさせ、この曲はファーストアルバムのシングルカットとしてリリースされました。
その後ソロ歌手として絶大な存在感を誇り、そのボーカルとパフォーマンスは65歳を迎えた今もさらに磨きがかかっていますが、ソロ転向後はヒット曲には恵まれとはいえず、このデビューシングルも最高61位、2万枚も売れなかったという結果でした。この当時は俳優として大成功を収めた時期で、活動比重が俳優に重きを置かれていた部分もあったのかと思いますが、84年の「導火線」が5.5万枚とまずまず売れましたが、その後は1万枚売れたかどうかというところで推移しています。なので今のパフォーマンスもTVではツイスト時代の曲になってしまうのですが…。
で、この曲ですが、それまでロックバンドのボーカルとして独特のがなり声を武器にしてきたのを一転させ、優しいちょっと落ち着いた歌唱になっています。ソロ転向にあたり、それなりの歌い方に変えたのか?そういう戦略で進めたという事なのでしょうか。
84年までは割とこんな感じの路線で、ツイスト時代のボーカルとは一線を画し、この時代の彼の歌唱も個人的には好きですが、後年聴くとどこか物足りなさみたいなものは感じてしまいます。
それで85年にはロック解禁と言わんばかり、がなり歌唱主体へ変貌していきますが、きれいな声で歌っているこの「東京指紅」などの楽曲はレアでいいなと思いますし、楽曲にすごくストーリー性を感じるのも確かです。
作詞が松本隆氏で、曲の出だしが「冷たい九月の雨が…」って確信犯的なものを感じましたが、これがオマージュというものでしょうか。77年太田裕美さんのヒット曲「九月の雨」の作詞者も他ならぬこの松本氏で「九月の雨は冷たくて」なんてフレーズがあります。そんな事も含めて聴くと、この曲が更に面白く感じられました。それでまた、世良楽曲に松本隆氏が詞を提供していた、というのも実にレアですよね。