今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (32)THE END-思いがけず出会ったら-/フォーリーブス(1978)

月曜を控えたブルーな日曜の晩の「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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↓動画はコチラ↓ (最初の曲です!)

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作詞:岩谷時子/作曲:青山 孝

発売:1978年7月21日

売上:0.3万枚(オリコン最高84位)

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1978(昭和53)年7月に発売されたフォーリーブス38枚目にしてラストシングルです。

フォーリーブスというと、今でも隆盛を極めている「ジャニーズ事務所」の先駆けとなるアイドルグループで、始祖となった「ジャニーズ」(あおい輝彦さんらが在籍)に続くグループとして、60年代末期から約10年間活躍を続けてきました。

 

この曲はそんな彼らの解散1ヶ月前に発売されたラストシングルですが、この1970年代末当時は、ジャニーズ・ジュニア・スペシャルなどいわゆるジャニーズジュニア出身のグループはありましたが、それほど売れず、井上純一さん、川﨑麻世さんなどの「ピン」のソロアイドルは何人かいましたか、楽曲よりタレント・俳優として売れた感があり、かつて所属していた郷ひろみさんは退所し、たのきんトリオは未登場…という「ジャニーズ暗黒時代」でした。

 

そして彼らも20代後半に差し掛かるようになり、今では40代でも普通にジャニーズアイドルをやっていたりも?するでしょうが、当時は20歳を超えると…という感じで、アイドルをやり続けるには厳しく、彼らの人気も1971(昭和46)~1973(昭和48)年頃をピークに下降線をたどるようになり、メンバーもそれぞれ個人での活動が忙しくなり、という状況で解散に至ったようです。

 

ラストシングルにして「THE END」と大変分かり易いですが、オリコンチャートの実績をいくら調べても出てこず、チャート100位にランクインしていないのか、と思われましたが、探し探してやっとみつかり、最高84位、0.3万枚と判明しました。末期は振るわず、100位にランクインしなかった曲もありました。

 

最後にヒットらしい曲というと解散前年の1977(昭和52)年リリースの「ブルドッグ」で、これはジャニーズ界隈ではレジェンド的な楽曲として歌い継がれているものと思いますが、後期の代表的楽曲です。というか、では人気絶頂の時にどんな世間的に知られた曲があるんだ?となった時、なかなか出てきません。

個人的にTVを見るようになった時にはまだ活動していましたが、その存在を認識したのは解散してかなり経ってからでした。「芸能人水泳大会」の司会でお馴染みの「おりも政夫さん」という人は早い時期に知りましたが、この方がフォーリーブスにいたというのもかなり後になってから知りました。

そのくらい代表曲の特にないグループで、オリコンでは最も売れた曲でも17.5万枚、順位的にも10位くらいが最高で、一ケタ順位の楽曲はなかったと記憶しています。曲が大して売れなくてもTVではものすごい売れっ子だった、というのが初期ジャニーズを支えたグループだったのでした。

 

主に70年代前半アイドルとして世を席捲してきたグループで、人気絶頂の頃は今のジャニーズにつながるような勢いのあるアイドルらしい曲を歌っていましたが、昭和50年代に入ると、当時の年齢相応の落ち着いた歌唱が増えていき、後から聞いてて感じたのが「この曲で売れるのは苦しくない??」という事でした。

 

この「THE END」の冒頭の歌い口も、実にアイドルとは対極にすらあるような落ち着いたものですが、サビの部分では高音のハモリが入ったり、ちょっとアイドル期を彷彿とさせる部分がありました。♪人はいつか去る時が来る 俺もお前に涙かくさない という部分が個人的には最も印象的でした。まんまなんですが、涙隠さないってのがいいですね。「涙隠して」が美徳だったような時代にこのフレーズか!という感じで。

ハモリがあるのが各番のラストの♪形見でいいじゃなーいかー の部分ですね。特に「な」の部分のハモリが印象的で、このグループが最後に放つ輝きのように思えました。

 

フォーリーブスは4人で約10年間活動してきましたが、解散時のコーちゃん(北公次さん)は29歳になる年で、最年少のおりもさんが25歳になる年でした。解散した1978年は人気絶頂のまま解散したキャンディーズと同じ年で、その4か月後が彼らの解散でした。キャンディーズの解散はハッキリ覚えてますが、フォーリーブスは存在すら知らなかったので、当然記憶になく、そのくらいの差はあったかと思います。

そこからおりもさんは先述の芸能人水泳大会はじめ司会業に進出し俳優としても活躍、エンターテイナー性を発揮していた江木俊夫さんも俳優にタレントにという活動で、楽曲面のメインだった青山孝さんも同様ながら、より音楽寄りの活動をしていたようです。そして最も目立っていた北さんは波乱に富んだ人生を送りながら、暴露本を出したり、映画「竜二」での駆け出しヤクザ役など印象深い活躍もしていました。

 

もう二度と再結成などないだろう、と思われていたグループでしたが、2002(平成14)年に24年ぶりの再結成を果たし、コンサートも行われました。2008(平成20)年まで続いたといいますが、メンバーの青山孝史さんが肝臓がんに侵され翌年57歳の若さで亡くなり、そこで実質的な再結成後の活動は終わってしまいました。続いて2012(平成24)年には北公次さんが63歳で亡くなり、現在は残った2人が御存命の状況です。

 

ジャニーズ暗黒時代に屋台骨を支えた存在として、もっとリスペクトされるべきグループだと思います。