2023年もついに後半に突入した「今日の1曲」。
今日はこの曲!
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作詞:千家和也/作曲:都倉俊一
発売:1974(昭和49)年11月1日 (当時平均22.8歳)
売上:4.1万枚(オリコン最高27位)
1974(昭和49)年11月に発売されたフォーリーブス25枚目のシングル曲です。
●命がけの友情ソング
まるで戦線で共に戦っている仲間へ歌っているような、第一印象はこんなものでした。
とにかくどこを切り取っても、「命」や「死」がチラついてる、そんな感じでしたね。
それくらい生きるのに必死だった世代、だったのか、もう少し上の世代の目線で書かれた詞なのか…
色々考えさせられますが、アイドルソングとはおよそ対極にある内容で、フォーリーブスでは前年1973(昭和48)年に「愛と死」というこれまたズバリそのもののシングルがリリースされていて、彼らの爆発的人気がひと段落した後は、このような命を説くような、切迫した感じの曲が並んでいたように思います。同年1974年にリリースされた「急げ!若者」なんかもそんな類でしょうか、出だしから♪短い命なら~ とか歌ってるので。
●歌詞
まず♪友よ 君が疲れたら
で始まります。歌い方はいわゆるアイドルのユニゾンなんですが、彼らも平均22歳にあり、ちょっと大人の路線も入ってるかなという感じでした。
また次の ♪友よ の部分では ♪君が倒れたら
と続きます。そして
♪僕がー腕をー支えーてあーげるーー
の節で、一気にボルテージが上がっていきます。
そして、そのボルテージの上がったままで、
♪小さなパンをー分け合おう ♪すーくない水も分け合おう
ときます。すごいですね、命からがらという感じです。
ここを聴いてて、戦線で共に戦う兵士の姿を連想しました。歌っている彼らは戦後団塊のくらいですが、このフレーズをどんな想いで歌ったのか。。4人のメンバーのうち既に2人は亡くなっていますが、聞いてみたいものです。
♪ひとーは茨の道ーを いのちーの道ーを
と、とても平坦ではない道であることを歌い、そして
♪傷つきなーがあーら よろめーきなーがあーら 歩いーてゆーくぅーのさっ アアアアー! と、命ギリギリが伝わるフレーズを半ば絶叫で盛り上がり、また最初の
♪友よ
に戻っていきますが、
♪君が滅びたら
になってしまいます。遂には死んだテイで歌ってしまいます。
君が滅びたら、君の人生を 僕が話してあげる
という訳です。そうする事によって「友」は人の心に生き続ける、という事でしょうか。
一番終わりの
♪僕が人に話してあーげるー が終わったところで、北公次さんと思われる「アアアアーッ!」の絶叫が被さってきます。
間奏はかなり短いままに2番の歌詞はハーフのような形で短く、
♪心の傷を舐め合おう~
で始まります。
傷の舐め合い、ってあまり良いイメージで使われない言葉ですが、ここでは友情の証となるフレーズとして使われていて、時と状況により言葉の意味も変化するんだな、という事を感じました。
ラストは
♪友よ 僕が滅びたら 君が人に話しておくれ
と歌っていて、一番とは逆です。
どちらかが死んだら、残ったどちらかが相手の人生について語ろう、というこれも「友」との約束なのですね。
この曲の前のシングル「急げ!若者」でも、♪若者なら 死んだ後で あいつはとてもいい奴だったと 言われてみたい というフレーズがあり、立て続けに命懸けな雰囲気を感じずにはいられませんでした。
昭和40年代のアイドルソング、それもジャニーズ事務所の楽曲とは到底思えない、早すぎた楽曲かもしれません。当時人気も下り坂になりつつあったというフォーリーブスでしたが、楽曲のボルテージの高さでは、この曲は彼らのシングル随一かもしれません。
●サウンド
詞について長々綴っていきましたが、サウンドについても触れておこうと思います。
まずは、最初っからハードな作風を感じさせる、ドラムの連打があります。そしてエレキが重くうねり、ハードな前奏、歌い口はアイドルなんですがサウンドはシンプルながら一貫してヘビーです。
激しく歌い上げられる中でまたドラムのビートも幾度となくうねっています。
タタタラタ タータタラタラタラ タ・タ・タ・タ・タ・タ!という感じの音も何度か演奏されてて、この部分がひときわ印象的で、耳に残ります。最後のはじけるような音も鮮烈な印象で大好きです。
フォーリーブスの楽曲の中で、個人的に最もサウンドのカッコいい曲だと思っています。
正直それほど売れたとはいえないこの曲について、こんな事を語るブログはここぐらいでしょう(笑)
●作家陣
作詞は千家和也さん、作曲都倉俊一さんという事で前作「急げ!若者」と同じコンビですが、このコンビでのシングル曲はこの2曲のみです。
千家さんはこの2曲のみで、この時期初期の山口百恵さんの楽曲の作詞をしていた印象がありました。百恵さんの楽曲というと、後に阿木燿子・宇崎竜童夫妻のイメージが濃くなりますが、初期は千家さんの楽曲のイメージが強かったです。
都倉さんは、この直前まで山本リンダさんの楽曲を作曲して世の注目を浴びていた頃ですね。フォーリーブスの楽曲はこの曲で3作連続作曲していて、それ以前に初期の楽曲でも何曲か手掛けていました。
もう半世紀近くも前の曲ですが、カッコいいものはカッコいい、そんな想いで長々綴りました。