今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (166)ツイてるねノッてるね/中山美穂(1986)

新居契約し目下ゴタゴタ二重生活中の「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:松本隆/作曲:筒美京平

発売:1986(昭和61)年8月21日 (当時16歳)

売上:19.2万枚(オリコン最高3位)

1986(昭和61)年8月に発売された中山美穂さん7枚目のシングル曲です。

 

●初期の代名詞的楽曲

ミポリンこと中山美穂さんのアイドル時代の楽曲として、ヒットした曲は実に沢山ある訳ですが、今から連想してパッと浮かぶのはまずこの曲ではないでしょうか?というぐらいキャッチーなタイトルとメロディーの楽曲です。

 

●最高3位、19.2万枚

この曲のオリコンでの実績です。

彼女のデビュー曲は1985(昭和60)年6月発売の「C」で最高12位で17.0万枚と順調なスタートを切り、次の「生意気」(1985年10月発売)は最高8位で11.4万枚と枚数は落としながらも、、この2曲目からTOP10入りを続け、次の「BE BOP HIGH SCHOOL(1985年12月発売。最高4位。17.9万枚)からは4位、5位あたりに落ち着くようになり、この曲で初めて3位に入りました。

売上枚数は19.2万枚と代名詞的な曲の割には意外と売れてなかった感がありましたが、ここまでの彼女の楽曲では当時2番目に多く、それまでで最も枚数が多かったのは、4枚目の色・ホワイトブレンド(1986年2月発売。最高5位。22.3万枚)でした。

しかしミポリンの凄いところはいわゆるアイドル時代は、そんなすごいビッグヒットは実はなくて、この曲の翌年1987(昭和62)年頃までは20万枚前後をコンスタントに売っていた感じでしたが、1988(昭和63)年から30万枚越えの曲も出てくるようになり、更には20歳を過ぎてから本当にビッグヒットを記録するようになりました。

1991(平成3)年11月発売の遠い街のどこかで…」は21歳の時でしたが、最高3位で67.3万枚を記録し、それまで1988年11月発売の「人魚姫」(最高1位。36.5万枚)で、これを大幅に上回るヒットとなりました。

更に更に、翌1992(平成4)年10月、22歳の時には中山美穂WANDS名義でリリースした世界中の誰よりきっとは最高1位で183.3万枚の大ヒット、初のミリオンセラーとなりました。ソロでも23歳の1994(平成6)年2月発売のただ泣きたくなるのも最高1位、104.8万枚と自身2度目(ソロ名義では唯一)のミリオンヒットを飛ばしました。

このように10代でアイドル歌手としてコンスタントに売上げながら、20歳を過ぎて大きく売り上げを伸ばし、ミリオンセラーをも叩き出した歌手ってほとんどいないと思います。

 

●黄金コンビ

この楽曲の作家陣は作詞:松本隆さん、作曲:筒美京平さんの「黄金コンビ」でした。太田裕美さんの木綿のハンカチーフを生み出したコンビでもあり、他にも多数の楽曲を手掛けていますが、彼女の初期のシングルではこのコンビの手によるものは比較的多かったのですが、翌年くらいからは他の作家陣や彼女自身が手掛けるようになっていきます。

 

資生堂CMソング

として起用された曲でしたが、そのまま曲名になっているサビの部分は特に、CMに合うキャッチーな曲だなとつくづく思います。

一方で、このサビとこれ以外のシリアスな雰囲気とのギャップも大きいと感じます。

歌い出しは「誰かに覗かれてる」感があって、危うさすら感じるものがありましたが、「誘いのベルが鳴る」「幸運の女神が私に微笑む」などのラッキーキーワードがある事によって、サビだけが浮かない形にはなっています。

 

●THE '86ソング

個人的な印象ですが、出だしのサウンドがこの時期ならではという感じでしたし、間奏の部分もこの時代のものだなと、感覚的なものですが、すごくそう感じます。打ち込みがハッキリしてきたかな、という感じで。

あとは、♪Lucky Girl…と歌う後の♪ウォオオッ ウォオオッっという男性コーラスも妙に耳に残るものがありました。

この曲を聴くだけで、1986年という時代の世相や自分自身の体験がいっぺんに甦ってきます。

 

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