3月も下旬に差し掛かるというのに、朝は真冬並みの「今日の1曲」。
今日はこの曲!
↓音源はコチラ↓
作詞/作曲:桑田佳祐
発売:1980(昭和55)年9月1日 (当時29歳)
売上:不明(オリコンチャートインなし)
1980(昭和55)年9月に発売された中村雅俊さん13枚目のシングル曲です。
中村雅俊さんの楽曲では、過去に以下について記事UPしています。
▼表通りは欅通り(1981)
▼燃える囁き(1983)
●20代ラストシングル
1980年9月のリリースで、当時雅俊さんは29歳。
次の「表通りは欅通り」は30歳になったばかりの1981(昭和56)年2月10日にリリースされており、20代では最後のシングル曲となりました。
と共に、これほどの長い髪でのジャケットもこれが最後で、次作からは短めの髪になっていきます。長い髪でも特にこの時期はアフロにしてて、ヒゲを生やしていた時もあり、かなり風貌的にワイルドな時期でした。
●オリコン売上
オリコン100位以内にランクインがなく、売上枚数は不明です。
この時期の雅俊さんのシングルは、俳優活動が順調なのと反比例するかのように楽曲は売れておらず、デビューした1974(昭和49)年から1996(平成8)年までの23年間で、オリコン100位以内に入る楽曲が全くなかったのは、本作の出た1980年のみでした。
この年は前作「野生のリサ」(1980.5.1発売)で、シングルでは初めて自身で作曲も担当しましたが、オリコン100位以内に入らず不発に終わり、続く本作も同じ結果となり、更にはドラマ主題歌に起用された「表通りは欅通り」も同じ結果で、シングルセールス的には限界が囁かれていても不思議でない状態でした。しかし、その次の「心の色」がオリコン1位に返り咲き、30代になっても安定して歌手活動を継続していました。
●作家陣
作詞作曲は、ナント桑田佳祐さんです。
この時期の桑田さんはまだ独身で、サザンオールスターズとしての楽曲も売れたり売れなかったりで、絶対的な立ち位置という感じではありませんでした。なにせまだ24歳だったので。
しかし桑田さんの作品をもってしてもオリコン100位以内に入る事ができず、思うにちょっと難しすぎたのかな?と感じます。
のっけから延々と英語詞で歌われていて、洋楽?みたいな感じで、とっつきにくかったのではないかと思いました。1番はほとんどが英語で最後の1フレーズだけが日本語で、
♪波を打つ あなたの胸
っていかにも桑田さんらしい描写を感じます。
この曲の英語部分はサザンオールスターズの「わすれじのレイド・バック」(1980.7.21発売。最高41位。3.4万枚)のB面「FIVE ROCK SHOW」がそのまんま使われている格好で、これに日本語詞をつけてひとつの曲にしたのが本作でした。
本作が不発だったので、後にこのコンビで「恋人も濡れる街角」(1982.9.1発売。最高5位。47.7万枚)をリリースしてリベンジしたような事をどこかで聞きました。
音にもこだわりが感じられ、オーケストラ風の壮大感もありつつ、サビの部分でのタンバリンの連打のようなインパクトのある音もい随所に散りばめられ、バラードの中に色んな音が詰め込まれている事が感じられます。
●「刑事珍道中」主題歌
本作は自身が主演した映画「刑事(デカ)珍道中」の主題歌に起用されました。
勝野洋さんとのW主演的なコンビ刑事ものでしたが、「ニッポンの恥」といわれた二人組の巻き起こすドタバタ劇で、映画よりもTVの連続ドラマで見たかったなと思いました。
後に放映される「あぶない刑事」の少し若くてかっこ悪い版みたいな作品でしたが、スタッフもそのあたりの布陣で、プロトタイプ的作品だったと思います。それまでは「俺たちの勲章」というコンビ刑事もので雅俊さんは純情な青年刑事を演じていましたが、それを80年代に合わせてはじけた作風にしたのかな?と。
●独特歌唱の確立期
ハ行を強調する雅俊さん独特の歌唱がこの時期に確立したのかな?と感じました。
それまでは割に素直な歌い方だなと感じますが、本作では日本語詞の最後の方で
♪泣いてあげられるのさ
というフレーズがあり、これを
♪なひーてわーげられるーのーさー
と歌い、ハ行もですが「あ」を「わ」にするなどもあり、極力「角」を取るような、エッジを外すような歌唱をしていたように思います。これが雅俊節なのかなと。
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