今日の1曲

古い曲に偏りますが1曲チョイスして綴ります。

今日の1曲 (240)求愛専科/岡田奈々(1977)

2月3連休、前に1日プラスして4連休も既に3日終わってしまった「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

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作詞:有馬三恵子/作曲:森田公一

発売:1977(昭和52)年9月25日 (当時18歳)

売上:4.1万枚(オリコン最高49位) 

1977(昭和52)年9月に発売された岡田奈々さん10枚目のシングル曲です。同姓同名の方が後から現れて「昭和の岡田奈々」とかいわなければならないのは面倒ですが、ここでは一貫して岡田奈々さんで通します。

 

これまで岡田奈々さんの楽曲では、以下のものを記事にしています。

 

◆手編みのプレゼント(1976.9.10発売)

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◆バイバイ・ララバイ(1978.2.10発売)

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●10枚目シングル

1975(昭和50)年に「ひとりごと」(1975.5.10発売)でデビューした岡田奈々さんは、日テレ系青春ドラマ俺たちの旅では田中健さん演じる「オメダ」の妹役、続く「俺たちの朝」では勝野洋さん演じる主人公「オッス」の妹役など、マスコット的な役柄を演じながら歌手活動を続けていました。

俺たちの旅」の時には自身のシングル「青春の坂道(1976.3.10発売)が挿入歌にも起用されヒットし、「俺たちの朝」の放送期間中に、(挿入歌等には起用されませんでしたが)この曲がリリースされ、この頃には他のドラマにも出るようにな活動の幅を広げていた頃で、10枚目シングルとして発売されました。

 

●事件後初シングル

彼女にとってはこの時期はとても辛い時期であっただろうと思います。

この年の7月に自宅に暴漢が押し入り、ナイフで手を怪我する重傷を負い、やがては消えていったといいますが、その後会見を開いた事で様々な憶測を呼びアイドル人気が下降線をたどっていったといいます。

この事件から2ヶ月後に本作は発売されており、レコーディングは事件後に行なった可能性も高く、心身ともに最悪の状況で挑んだのかな…等々想像してしまいます。

 

●青春アイドル路線からの脱却

先の事件もあってではないでしょうが、彼女のそれまでのイメージそのものであった清純路線の爽やかな楽曲から、この曲は一歩踏み出した先の雰囲気に溢れ、少しハードでシリアスな雰囲気が前面に出た楽曲です。

イントロからエレキギターのうねりで始まり「これ岡田奈々さんの曲??」と初めて聴いた時に感じました。それまで「青春」「ほのかな想い」「清純」そんなワードがピッタリの曲ばっかりといっても過言ではなく、この曲は明らかにそこから外れていたものでした。

一言でいうと「なりふり構っていられない」想いを爆発させた曲、というところでしょうか。あくまでも不純とかそういう正反対なキャラになったとかではなく、清純な子が想いを解き放とうとしている姿、が描かれている感じです。

 

●作家陣

作詞は有馬三恵子さん、作曲は森田公一さんと前作「らぶ・すてっぷ・じゃんぷ」(1977.7.10発売)と同じ組合わせで、この2作のみがこの組合わせです。有馬さんの作詞はこの2作のみで、森田さんの作曲はもうひとつ前のそよ風と私(1977.4.10発売)からの3作連続(本作が最後)で、1977年の彼女のシングル3作はすべて森田さんの手による曲となっています。

 

●歌詞

彼と思われる相手が明らかに年上と分かる女性とお茶飲んでて、肩と肩が今にも触れそうな状況、をこの曲の主人公の女の子が目撃した事から始まります。それがとても、

♪あゝん ショック ショック~

と歌われています。ここがこの曲の最も印象深いフレーズといえます。

しかし、肩と肩が触れそうという事は、この2人は向き合って座っていたのではなく、隣り合わせで座ってお茶していたのでしょうか(笑)

 

そして、それまでの彼女の楽曲なら、ここでモヤモヤした思いを抱いたままだったかもしれません。そもそもそれまでの曲では相手は彼氏というより、片想い相手なので単純比較はできませんが、ここからが明らかにそれまでの楽曲とは違っています。

♪私決めました今日から センチメンタルじゃいられない

と決意表明をします。それまでの楽曲ならセンチメンタルでいたであろうところを、一歩踏み出すわけです。

ここの歌い方がハードで「らしくない」印象で、良い意味で彼女の新しい一面が見えた歌唱と思いますが、それまでの楽曲にない切迫感をここで見事に感じさせています。

 

そして

♪あなたを確かな 恋人にするために

♪何でもします なんでも

と続きます。

この切迫感溢れる思いを遂に解き放って「なんでもします」とまで言いました。

こんな可愛い彼女に「なんでもします」とまで言わせるってどゆこと?ぐらいな感情を、聴いてたら抱いてしまいます(笑)

ラストの

♪ダ~メダメ~ のフレーズも「ショックショック」同様印象的なフレーズです。

あなた慌ててもダメダメ、あなた逃げ腰はダメダメと言い放ち、「私決めました」と思いを改めて宣言します。

二番では18歳にも関わらず

♪お酒もその気なら 私飲めるわ

といった具合で、この曲の主人公の年齢は分かりませんが、少なくとも当時の彼女からは少し背伸びした設定になっていると感じます。

 

この曲を境に、ネガティブな感情に重きを置いた楽曲が続いていったように思います。「バイバイ・ララバイ」とか「だめですか」とかタイトルからしてそうとしか思えないような楽曲で、それまでの「ときめき」や「切なさ」の楽曲から「あきらめ」や「執念」のような楽曲へ変わっていく、そんな境目の頃だったように思いました。

 

サウンド

先述の通り、エレキのうねりで始まるハードなサウンドは、それまでの彼女に対するイメージを覆したもので、このハードなイントロからどう歌いだすんだろう?と初めて聴いた時、感じました。イントロがとにかく「ビシッ」としたカッコいい感じのものでした。

また、

♪私決めました今日から~

と歌っている時のこっそり忙しく鳴っている音は何だろう??とふと感じました。そんな目立つ音ではないですが、アレンジャーのこだわりが入っているんだろうなというところで。

 

 

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今日の1曲 (239)勇次/長渕剛(1985)

はやくも2月に突入、2024年すでに1ヶ月が過ぎた「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:長渕剛

発売:1985(昭和60)年7月22日 (当時28歳)

売上:4.4万枚(オリコン最高29位) 

1985(昭和60)年7月に発売された長渕剛さん14枚目のシングル曲です。

 

●「勇次」の原点

「ゆうじ」という名前でも、この1980年代にはとりわけ「勇次」という表記が「カッコいいキャラクター」の代名詞的に使われていたといっても過言ではありませんでした。

この曲の出る前では「必殺仕事人」のシリーズ中条きよしさんが演じた「三味線屋の勇次」というキャラクターが必殺の人気を大きく支え、この曲の出た翌年には「あぶない刑事」で令和になった現在も尚、柴田恭兵さんが演じる大下刑事は「大下勇次」といった具合でした。

長渕さんもこの曲の2年後に主演したドラマ「親子ジグ・ザグ」にて「下別府勇次」というキャラクターを演じ、その後も映画「オルゴール」では「神崎勇次」という人物を演じ、とにかく「勇次」という名がかなり気に入っていたと感じます。

彼が最初に「勇次」という表記を用いたのがこの曲でした。

 

●人名のタイトル

長渕さんの曲では、彼の出世作となった「順子」がありますが、この曲以来の人名の曲となりましたが、これは彼が人名をタイトルにするのが好きだから、というのがあるそうです。

架空の友人をモデルにして作った曲だそうで、16歳で♪缶ビールを開け という法律違反な歌詞を展開していました。

尚、♪ガソリンスタンドの自動販売機で

缶ビールを開けたとありますが、ガソリンスタンドの自販機にアルコールは売ってない、

 

●フォークからロックへ

それまでのフォーク路線からニューミュージック路線へ切り替わり、さらにはロックの路線へシフトしていった頃で、テンポこそミディアムですが、不良っぽさを歌詞に顕著に表すようになった、と感じます。

歌い方も以前の綺麗な声から、元々本人が願望したという「しわがれた声」が前面に出ていますが、アルバム曲では少し前からこのような歌唱をしていて、シングルでも徐々に変わっていきましたが、この時期あたりがしわがれ声歌唱の確立した頃といっても良いかと思います。

 

●ライブ必須曲

彼が俳優として演じる時の代名詞的な名前となったこの「勇次」ですが、その後のライブでも必須で歌われていて、色々とアレンジが変わりながら「ライブで最も歌われる曲」として、現在も断然知名度の高い曲となっています。

リリースされた1985年当時が「順子」と「GOOD-BYE青春」がヒットした歌手で、「家族ゲーム」などドラマにも出始めた人、という感じで歌手として不動の地位をまだ築ききっていなかったこともあり、オリコン最高29位、4.4万枚の売上でした。

「たられば」はありませんが、もう少し後の時期にリリースしていたらシングルとしてもすごいヒット曲になっていたかもしれません。それぐらいメッセージ性の強い楽曲でもあり、「とんぼ」の10代版といっても過言ではない楽曲だと思います。

 

●収録アルバム

この曲がリリースされた1ヶ月後に発売されたアルバム「HUNGRY」にて6曲目に収録されています。

アルバムジャケットでは、デビュー以来の長髪を切った、耳の出ている短い髪型で初めて写っており、その後アルバムが出るごとに髪が短くなっていきます。

 

長渕剛さんの楽曲では以下についても紹介しています。

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今日の1曲 (238)DESIRE/もんた&ブラザーズ(1981)

2024年、年が明けたと思ったら、もう1月が終わろうとしている「今日の1曲」。

 

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作詞:園部和範/作曲:もんたよしのり

発売:1981(昭和56)年10月25日 (もんたよしのり:当時30歳)

売上:32.0万枚(オリコン最高7位)  

1981(昭和56)年10月に発売された、もんた&ブラザーズ4枚目のシングル曲です。

 

「もんた&ブラザーズ」の曲では、これまで以下の曲をご紹介しています。

▼ウインド&レイニーデイ =⇒「DESIRE」の前のシングル曲です

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▼Just You =⇒「DESIRE」の2作後、約1年後に出たシングルです

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●最後のTOP10ヒット

もんた氏自身は1971年にソロでデビューしていますが、その後の空白を経て1980(昭和55)年に「もんた&ブラザーズ」としてのデビュー曲ダンシング・オールナイトで鮮烈なデビューを果たし、一躍時の人となります。

その後、2作目の「赤いアンブレラ」はバラードですが、オリコン最高10位を記録するヒットを飛ばし、次の「ウインド&レイニーデイ」は少し順位/売上を落としますが、この「DESIRE」で再び最高7位のTOP10圏内に入りました。

個人的に彼らの曲でリアルで知ってるのは、あまりにも有名な「ダンシング・オールナイト」とこの曲のみでした。(他の曲は後から覚えました)

ザ・ベストテン」にも出ていましたが、その時にもんたよしのり氏が「1曲だけのヒットでも十分だったのに、この曲が売れてまた出る事ができたのが嬉しい」的なコメントをしていた記憶があります。

 

この曲を最後にシングル曲がTOP10圏内に入る事はなくなります。

 

●激しい情熱の曲

もんた&ブラザーズのシングル曲は、「ダンシング・オールナイト」などがそうであるように、曲の出だしは割に穏やかである事が多いですが、この曲は最初っからハイテンションで歌っています。

でもやはり、もんた氏のボーカルなので、ハイテンションでも所々かすれるのがまた印象的でもあります。力いっぱい歌ってかすれるので、聴いててなにかこう意表を突かれる感じでもあります。

 

そして圧巻は、間奏に入る時のシャウトです。

♪ヴア゛アアー という感じのものですが、このシャウトすら途中でかすれてしまうので、フルボリュームで出ていたら…と思わなくもないですが、かすれるところが彼らしいとも感じます。歌手のシャウトでかすれるというのは、個人的には彼以外には聞いた事がない、まさしく唯一無二のものですね。

その後に間奏として始まるエレキのうねりがまたカッコいいですね。

 

●作家陣・詞

もんた&ブラザーズの楽曲はシングルはすべて、作曲はもんたよしのり氏の手によるもので、作詞は作品ごとにほぼすべて異なります。

この曲の作詞は園部和範氏で、現在は里乃塚玲央(=りのづか・れお)の名で活動されていますが、アニメソングや戦隊ヒーローの楽曲の作詞を主に手掛けている人物です。J-POPの作詞もしていますが、先のアニソン系と比べると随分と率が低いです。

この曲の歌いだしの歌詞が

♪振り向きざまに~

というものですが、個人的に「振り向きざまに」という言葉を覚えたのはこの曲からでした。小学生ながらに「振り向く」という言葉は知っていたものの、「ざまに」というのがそれまで聞いた事がなくて、この曲で覚えたのをはっきり記憶しています。カッコいい表現だなと思って。

で、ここの部分を「♪ふぅーりむきざぁまにぃひ~」と語尾をかすれさせながら歌う訳で、ここで聴き手によっては一気に「持っていかれる」感覚を覚えるのだろうな、と感じます。

サビの歌い終りに

♪DESIRE DESIRE うちぬく!

とカッコよくキメる訳ですが、

当時これを聴いていた小学校の同級生が、この「うちぬく」の部分をわざと「ぶちぬく!」と歌っていた事も思い出しました(笑) ぶちぬく、でもカッコいいなと思いました。

 

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今日の1曲 (237)FLY/ハウンドドッグ(1991)

1月も下旬を迎え、寒いのもあと1ヶ月ちょっと?と希望を抱く「今日の1曲」。

 

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作詞:大友康平松井五郎/作曲:蓑輪単志

発売:1991(平成3)年4月25日 (大友康平:当時35歳)

売上:2.3万枚(オリコン最高37位)  

1991(平成3)年4月に発売されたハウンドドッグ23枚目のシングル曲です。

 

●後発シングルカット

この曲の初出は、この年の初めにリリースされたアルバム「BACK TO ROCK」の1曲目のナンバーとしてでした。このアルバムはタイトル通り、ロックへの回帰で、「円熟」を感じさせない、あくまでも骨太でロックなハウンドドッグを再認識させられる作品となりました。

なのでアルバム曲かと思っていたら、3ヶ月後にシングルカットされました。

日野自動車のCMソングに起用されましたが、後に大友康平氏が単独でいすゞのトラックのCMに起用されたのはなんとも…でした。

最近、大友康平氏の腎臓腫瘍摘出手術の為、コンサートの予定をキャンセルして、しばらく休養期間に入るとのニュースが入ってきました。この曲のリリース当時35歳だった大友氏も、今ではその倍近い68歳になっており、いやでも時の流れを感じさせられますが、ゆっくり静養して無事にカムバックされる事を望むばかりです。

 

●胸に翼ひろげ

♪この胸に 翼ひろげて

の歌詞が印象的ですが、愛を求め愛に結びつき、人生という名の終わらない旅を続けていく、そんな人生の応援歌的な内容をミディアムテンポにのせて送っている楽曲です。

ハウンドドッグといえば、「ff(フォルティシモ)」がヒットしてから、こういう路線が決まり過ぎてしまったかな、という気がしますが、これがまた「ブレなさ」でもあるかなと感じます。

 

●バージョン

アルバムの曲が元で、シングルではSingle Versionとされていましたが、聴いていてそれほど大きな違いは感じませんでした。

 

●MV

当時はPVといっていたのでしょうか。さすがにシングルカットされただけあって作成されていたようで、今回この記事を書くにあたって調べていた一環で、このMVの存在を知りました。

ただただ、水に浸かったり、飛び込んだり飛び上がったり(飛び込みの逆再生?)してて、結構身体を張ったMVだったように思いました。

 

●91年唯一のシングル

同じアルバム「BACK TO ROCK」収録の「GLORY」は先行シングルとして、前年の1990(平成2)年12月にリリースされていますが、1991年は後発シングルカットの本作以外シングルリリースがなく、次は翌年リリースされた大ヒットした「BRIDGE~あの橋を渡るとき~」がリリースされる事となります。

 

現在は「俺が歌えばハウンドドッグ」として、一人でハウンドドッグの活動をしている大友氏ですが、無事にカムバックを果たしてほしい事と、やはりかつての6人で再開してほしいと個人的には思いますが、修復不可能なところまで泥沼化してしまったのが大変残念なグループと感じずにはいられませんでした。

 

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[rakuten:bookoffonline:10203269:detail]

今日の1曲 (236)SUMMER TOUR/RCサクセション(1982)

1月も下旬に入ろうとしている「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:忌野清志郎仲井戸麗市

発売:1982(昭和57)年6月22日 (忌野清志郎:当時31歳)

売上:21.6万枚(オリコン最高6位)  

1982(昭和57)年6月に発売されたRCサクセション12枚目のシングル曲です。

 

●最大ヒット曲

RCサクセションといえば、故・忌野清志郎氏をフロントマンとする'80年代の日本を代表するロックバンドとして絶大な人気を誇り、シーンの中心に君臨したイメージが強いですが、ことシングルセールスに関しては「売れた」といえる作品はあまりなく、本作はオリコン最高6位、21.6万枚のセールスを記録した「最大ヒット曲」です。

RCがロックファンのみならず、広く一般層にもシングル曲として知れ渡ったのが本作となり、いわゆる「世に出た」といっても過言ではないと思います。少なくとも自分はこの曲でRCの存在を知りました。

RCのシングルで唯一の10万枚以上の売上を誇り、2番目に多く売れたのが「I LIKE YOU」(1990.9.5発売。最高13位。5.0万枚)

またオリコン最高TOP10にランクインした2曲のうちの1曲でもあります。(もう1曲はカバー作の「LOVE ME TENDER」(1988.8.15)) 

 

●キッカケ

このようにシングル売上が突出している本作ですが、ある程度売れるべくして売れた面はあったと思います。

この年の2月に、故・坂本龍一氏と組んで「い・け・な・い ルージュマジック」(1982.2.14発売。最高1位。41.4万枚)で大ヒットを記録し、テレビ歌番組で見せた二人の濃厚なシーンも大変話題になりました。これホント小学生の時に見てたいへん衝撃でした。

個人的にこの曲で忌野氏の決め台詞ともいえる♪ベイベェー が完全に定着しましたし、忌野清志郎という人物をここで初めて知りましたし、そしてその存在があまりに強烈でもありました。この大ヒットからの本作リリースという事で、売れないはずがないという感がありました。

しかしこの二人ともが今はもうこの世にいないなんて、寂しい限りです。

 

●ジャケット

蜂のしっぽにブースターみたいなのがついて、激しく噴き出しているようなものでした。忙しくツアーに出かけるバンドのイメージと働きバチとダブらせているのでしょうか。

 

●詞と節回し

随所に♪No No Babyのフレーズがつけられていて、どんな曲か忘れそうになる時はまずこのフレーズで思い出せます(笑)

そして「Baby」はやはりベイベェーなんですよね。すごくこのフレーズの発音が独特な忌野節が連発というところです。

♪Oh の節回しも彼独特のものがあり、普通に「オー」というのではなく、「オオォオー」という感じなんですよね分かりますか?(笑)

それで、これらのフレーズを合わせた♪Oh Baby というのも彼の曲には頻出します。こうなると「オオォォベイベェ~」で、このフレーズといえばやはり忌野清志郎、彼の右に出る者はいないと感じます。

本作でいえば、他に個人的にツボなフレーズがありまして、♪急いでー旅立てジャックのところ、「たーびだて ジヤック」と、真ん中にちょっと間を置きつつ、「ャ」を大きい「ヤ」で発音しているところに彼のボーカルの独特さと存在感が存分に感じられます。

 

以上、RCサクセションを広く世に知らしめた曲でした。

 

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今日の1曲 (235)明日テンキになあれ/こぶしファクトリー(2018)

新年も半月が過ぎようとしている「今日の1曲」。

 

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作詞/作曲:イイジマケン

発売:2018(平成30)年3月28日 (当時平均:17.2歳)

売上:不明(オリコン最高3位)  

2018(平成30)年3月に発売された、こぶしファクトリー5枚目のシングル曲で「これからだ!」との両A面となっています。

 

こぶしファクトリーの楽曲では、過去に以下の2記事をupしています。

lefthand926.hatenablog.com

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●新体制第1弾

前作「シャララ!やれるはずさ/エエジャナイカニンジャナイカ以来9ヶ月ぶりとやや間隔が開いた後のシングルリリースとなりましたが、前作では8人体制だったこぶしファクトリーは、この間メンバーの相次ぐ離脱により、5人となってしまいました。

このグループの体制を語る上で、初期の8人体制を前半、その後の5人体制を後半と大別できると思いますが、その後半のスタートとしてリリースされました。

8人から5人へ、そのまま人数が減っただけで新メンバー加入はなく、またその減ったメンバーの辞め方も良くなかった為、当時グループは危機的状況でもありました。

また、新メンバー加入の提案も運営からあったそうですが、メンバーたちは残った5人のままでやらせてほしいと主張し、この体制で新たなスタートを切ったといいます。

まさに背水の陣で切ったリスタートというところで、その後の新たな挑戦も含めてパフォーマンスの質は飛躍的に向上しましたが、本作リリースのちょうど2年後に解散となってしまいました。

 

●スタンドマイクのパフォーマンス

このジャケットにもあるように、この曲の最大の特色は「スタンドマイク」で、MVでもこの衣装と共にスタンドマイクを使ってパフォーマンスしています。

またライブでも、この曲の時だけスタンドマイクが持ち込まれて、これを使ってパフォーマンスをして、また次の曲になるとスタンドマイクを撤収する、といった具合でした。

 

自己啓発ソングといわれて

この新体制になってからしばらくのこぶしファクトリーの楽曲は「自己啓発ソング」など色々言われていました。

結成当初、グループ名が「こぶしファクトリー」と命名された時に、ファンの想像の斜め上を行くネーミングに「え?」と思わされましたが、それに負けず楽曲もちょっと奇抜で、基本楽しい系でパワフルなものが多かった訳ですが、5人体制になってからガラリと楽曲の雰囲気が変わって、この曲は

♪何回も 何回も 失敗しちゃったって この次はうまくいくかもしれない

などの逆境を跳ね返すメッセージ系の歌詞が見られ

この次はうまくいく「かもしれない」というのもミそのように思います。「きっとうまくいく」とかじゃなくて、弱含みな感じが逆境の深さを感じさせます。

本作と両A面の楽曲も、タイトルがズバリ「これからだ!」という8人から5人になった逆境を感じさせるもので、グループそのものの状況を見事すぎるぐらい楽曲に反映させていた事を感じます。作ったのは職業作家でしょうが、運営の要求したコンセプトがこのようなものだったのかもしれません。

 

●間奏の英語セリフ

エレキギターがうねる間奏部分に、英語のウェザーインフォーションのセリフが入ります。

これは日本に在籍するアメリカ人のタレントの方がされているネイティブの英語ですが、ライブではこのセリフの最後の「Beautiful Sunny Day!」という部分だけ、ファンが叫んでいます(笑)

MVのラストでは、このセリフを担当した方が、歌い終わったメンバー達にプチインタビューするシーンがあり、新体制になった事もあってかメンバーが改めて決意表明をしています。

 

●5人になって

元々歌割の多かったメンバーが残った事もあり、より結束力が固まった感もあり、特に歌唱面はキュッと締まった印象がありました。

スキル的には精鋭揃いとなり、他のハロプログループの追随を許さない無敵の歌唱力、といっても過言ではないレベルになっていきました。ただ、その事と人気、売上への直結は難しかった面もあったと感じたのもありました。

ただ、こぶしファクトリーの後半2年間は1曲1曲が実力に裏打ちされた、渾身のナンバーばかりという事は感じられますので、解散後ですがもっと評価されて良いかと思います。

 

 

グループが解散して3年、現在もハロプロに残っているのは現在juice=juiceに在籍している、当時最年少の井上玲音さんだけとなりましたが、彼女が特別なイベントのステージの時に、時々こぶしファクトリーのナンバーを披露して、かつてのファンの胸を熱くさせています。

 

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今日の1曲 (234)嵐のあと/フォーリーブス(1975)

2024年が明けたと思ったら、もうすでに10日経とうとしている「今日の1曲」。

 

今日はこの曲!

 

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作詞:安井かずみ/作曲:馬飼野康二

発売:1975(昭和50)年6月1日 (当時平均:23.0歳)

売上:4.2万枚(オリコン最高34位)  

1975(昭和50)年6月に発売されたフォーリーブス27枚目のシングル曲です。

 

フォーリーブスの楽曲については過去にも計3曲記事にしています。

 

▼ラストシングル

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▼2作目

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▼昭和40年代ラストの曲

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●昭和50年代の2作目

昭和40年代後半の男性アイドルシーンを席捲したフォーリーブスですが、少し下の世代になる新御三家などが台頭してきて、また彼らの年齢も上がり…というところで失速してきた感がありました。

当時のアイドルというのは、10代で人気を誇っても20歳を越えてくると苦しい感じになってきて、今よりもだいぶ低年齢で大人路線への転換を求められたようなところがありました。この曲のリリース当時で、グループ平均年齢は23.0歳でしたが、最年長の北公次さんは26歳になっていました。

そんな彼らが昭和50年代に入っても、グループとして存続し活動を続け、この年の2作目シングルとしてリリースされました。

 

●この年の紅白

フォーリーブスは1970(昭和45)年に紅白に初出場し、7年連続で紅白出場を果たしますが、この年はこれというヒット曲がなかったせいか、例外的に「ハッピー・ピープル」というシングルではない曲を披露しています。

 

●最後のアイドルナンバー

前作「ふたりの問題」(1975.2.1発売。最高25位。4.5万枚)という曲が、昭和50年代1発目のシングル曲としてリリースされましたが、かなり大人ムードの楽曲で、アイドルから一段上の路線を歩かされ始めたかな、という雰囲気でした。

これに続いて本作がリリースされた訳ですが、一転してアイドルポップの王道を突き進むスピーディーなナンバーとなっています。

その後3年間彼らは活動を続けますが、これ以降のナンバーは大人っぽいトーンの抑えられた感じの楽曲が多く、よく言えば大人っぽい、悪く言えば勢いを感じづらい楽曲が続き、1977年のブルドッグを除いては、インパクトのある曲は影を潜める格好となり、本作は最後の「アイドルらしい」王道ナンバーという感じの曲、と個人的には思います。

 

●ジャケット

タイトルが「嵐のあと」というだけあって、髪も服も濡れた状態でメンバーが写っています。服が肌に貼りついて冷たそうな雰囲気が感じられます。

 

●嵐のイントロ

曲の最初の効果音が、轟音と土砂降りの音で、最初から嵐を連想させるには十分な導入で、ここからイントロの音が入ってきて、嵐とは打って変わるような明るいサウンドと歌い出しで始まっていきます。

 

●ハードなワード

フォーリーブスの楽曲には、やたらと「死」というワードが出てくる印象があります。

この曲にも

♪死ぬことも考えた

とか

♪死ぬことも出来たろう

とか、命にかかわるギリギリの思いが伝わってきます。

この曲以外にも、以前記事にした「友情」にも

♪若者なら 死んだ後で

なんて出てきますし、

それこそタイトルがズバリ

「愛と死」という曲があったりもして、

死生観というのか、そういうものが多分に描かれていた事を改めて感じました。

 

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